一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。
彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)
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東北談合の「天の声」
「岩手県下の公共工事については、遅くとも昭和50(1975)年代の終わりころから、小沢議員の事務所(以下「小沢事務所」という)が影響力を強め、前記談合において、小沢事務所の意向がいわゆる『天の声』とされ、本命業者の選定に決定的な影響力を及ぼすようになった」
公判検事が、冒頭陳述の「西松建設からの小沢議員政治団体に対する多額献金の経緯」と題した項目を読みあげた。こう続けた。
「平成7(1995)年、専務取締役事務本部長兼社長室長として政治献金を統括していた被告人國澤は、西松建設東北支店長から、次の説明を受けた。東北地方の実情、とくに岩手県下の公共工事について小沢事務所の意向に基づいて受注業者が決定されること。当時、西松建設は必ずしも小沢事務所との関係が良好ではなく、同県下の公共工事を思うように受注できない状況にあったこと。さらに西松建設が東北地方で業績を伸ばすためには、小沢議員側に多額の献金をして岩手県下の公共工事受注に便宜を図ってもらう必要があることの説明をされた。そのうえで、被告人國澤は、東北支店長から、小沢事務所からの要求に応じ、複数の名義を用いた1000万円を超える献金について、了承を求められた」
これが西松建設から小沢の政治資金管理団体、陸山会へ渡った3500万円の献金の一部だ。西松のダミー団体による違法献金事件の公判は2009年6月19日に幕を開けた。東京地検特捜部が3月3日に小沢事務所の大久保隆規(※編集部注:小沢一郎の蓄財を管理していた公設秘書)を摘発してから3カ月後である。西松建設違法献金事件の初公判が東京地裁の102号法廷で開かれた。東京地検にとって西松建設事件は、いわば小沢一郎事務所に対する裏献金事件の前哨戦だ。
本丸の大久保本人公判
そして、さらに初公判から半年後の09年12月18日になり、ようやく大久保本人の公判が始まった。逮捕されてから数えると、実に9カ月が経過している。この間、特捜部が水谷功から新たな裏献金の証言を得ているわけだ。西松事件はいつの間にか、水谷建設による裏献金疑惑でその影がかすんでしまった感すらある。だが、政界におけるゼネコンのあり様を知る上で貴重な事件だ。9カ月のあいだ、捜査批判を浴びてきた検察側は慎重に公判に臨んだ。
西松建設事件の大久保の初公判は、東京地裁で最も大きな104号法廷で開かれた。特捜部にとっていわば本丸の事件である。
公判検事が西松建設盛岡営業所長の供述を読み上げると、法廷内は一瞬静まり返った。まさしく立て板に水のごとく、公判検事の舌がまわり、東北地方におけるゼネコン各社と大物政治家の金庫番とのやり取りを暴露していく。