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実兄を経営から追放するクーデター計画…身内にも容赦なかった“平成の政商”水谷功の狡猾さとは

『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より #6

2021/02/08

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

note

兄弟間で勃発したクーデター

「水谷建設が飛躍的に売上を伸ばすさなか、会長(功)さんが、三男の紀夫さんの経営する涼仙ゴルフ倶楽部をつぶしてしまおうと考えたことまでありました。ゴルフ場が水谷建設グループの足を引っ張っているわけだから、思い切って涼仙を処理すればいい、と。会社をつぶしてしまえば、水谷建設がその債務を肩代わりしなくて済むからです。そうして紀夫さんをグループの経営から追放しようとしたのです」

 前出の水谷建設の取引業者が再び語る。

「要するにクーデターみたいなものです。ゴルフ場の開発会社である大東開発の臨時株主総会を画策し、この際、紀夫さんにお引き取り願おうとした。実際、会長は弁護士まで手配し、大東開発の役員から株主総会における白紙委任状を取り付けた。結局、そのクーデター計画が向こうに漏れ、臨時株主総会の無効という法的な仮処分で対抗されてしまった。以来、二人の不仲が決定的になりました」

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 つまるところ功のクーデター計画は失敗に終わった。結果、水谷建設グループの財務内容はますますひっ迫する。

 民間信用調査機関によれば、03年、水谷建設グループのゴルフ場開発会社である大東開発の債務50億円を水谷建設で肩代わり弁済している。三男の紀夫はそれでひと息ついたかっこうだ。しかし、これにより本体の水谷建設の経営が傾き、兄弟間の確執が修復不可能になっていく。

会長就任

 クーデターの失敗により02年4月、水谷功はいったん副社長の椅子からおりた。その翌03年4月には、次男の勤も体調を崩して社長を退いた。ただし、功は水谷建設本体の経営を紀夫に任せるわけにはいかないと判断したのだろう。そこで、この年の11月に会長に就任し、川村を社長に抜擢した。そうして巻き返し、事実上、会社の経営を掌握していったのである。

©iStock.com

「川村さんは功さん、紀夫さんたち八人きょうだいの長女の娘婿にあたります。で、功さんがその姪婿を社長に据えることにより、その後見役として実権を握った。これで、紀夫さんを抑え込むことに成功したといえます。川村さんは操りやすいと思ったのでしょう。会社経営はあくまで会長、社長はマリオネット(操り人形)のような存在でした。そうしてさらに会社を大きくし、会長は絶頂を迎えていったのです」(前出・取引業者)

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