「え、男なのにAT限定?」

 15年前、私が免許を取った頃は、そのようにAT限定免許(*1)を蔑む風潮があった。AT車の販売比率は当時でも95%を超えていたから、実質的にはMT免許(*2)など不要だったのだけれども、「AT限定だとバカにされるからMTで取る」という考えが多数派だったように思う。

*1 変速を自動で制御するオートマチック・トランスミッション(AT)を搭載した車のみを運転できる免許。1991年、AT車の比率上昇に伴い新設された。限定のない場合に比べ、取得の際の規定教習時限数は3時間少なく、一般的に費用も数万円程度抑えられる。

ADVERTISEMENT

*2 変速機構についての制限が課されていない運転免許の俗称。シフト操作およびクラッチ操作により、ギアチェンジを手動で行うマニュアル・トランスミッション(MT)を搭載した車を扱える。

 時代は変わり、今では男性でもAT限定免許が珍しくなくなった。ソニー損保が毎年実施している「新成人のカーライフ意識調査」では、2020年の発表においてはじめて、男性の「AT限定」比率がMTを上回るという結果が示されている。警視庁運転免許統計を見てもAT限定免許を取得することが一般的であることは一目瞭然だ。

AT限定/MT免許取得数推移(警視庁運転免許統計をもとに筆者作成)

 もはや「運転=男らしさを発揮する場」という価値観は時代にそぐわないものになっているのだろう。ましてや免許でのマウンティングなど、自らの浅はかさを露呈するだけである。免許の条件など気にかけることなく、それぞれのカーライフを楽しめばよいのだ。

ネット論争に垣間見えるAT派のコンプレックス

 けれども、ネット上を中心に、いまだに「AT限定はダサい派」と「MTなど不要派」との間でたびたび論争が巻き起こる。MT派による煽りを無視できないAT派を見ていると、MTを不要と断じつつも、どこかで「ATでは不十分なのではないか」という思いが残されているようでもある。

 体験していないものを切り捨てるにあたっては、その選択を自分のなかで合理化する必要があるけれども、なにしろ体験していないのだから100%の合理化は不可能だ。

 実際のところ、AT限定免許では享受することのできない「AT派の盲点」といったものが、どこかに存在するのだろうか。「運転の楽しさ」といった抽象的なものではなく、もっと具体的なメリットについて、AT派が見過ごしてしまっているポイントがないかを検証してみたい。