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 開発後、特許も取り、アプリはさまざまな方面で使われるようになったが、それでも野口の目的はビジネスではなく、《僕は歌手であるからこそ、このアプリを作りました。あくまで歌うための一つの手段であり、特許を取ったのは着実に次に進むフックだからに過ぎません》と強調する(※1)。

歌うことを突き詰め、英科学誌に論文も発表

 野口はかつて医師や学者らとともに音源の振動をめぐる論文をイギリスの科学誌に発表したこともあるが、この研究も「歌うこと」から発している。

 彼は、歌できちんと思いを届けたいと追究していたところ、そもそもどうやったら届けられるのか気になり始めた。高音は遠くまで届かずに落ちてしまうのに対し、低い振動はゆっくり遠くに届くという。ここから、人間には聞き取れない20ヘルツ以下の深層振動に関心を持つようになった。研究は、深層振動は人間の健康面にもいい影響を与えているのではないかという仮説のもと、現在も続けている(※2)。

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昨年リリースのアルバム『Goro Noguchi Debut 50th Anniversary ~since1971~』

 昨年にはデビュー50周年を記念して、コブクロの小渕健太郎作詞・作曲によるシングル「光の道」と、往年のヒット曲のリメイクなどを収めたアルバム『Goro Noguchi Debut 50th Anniversary ~since1971~』をリリース。アルバムのCDやテイクアウトライブで配信した「光の道」のミュージックビデオには、深層振動も入れた。

 どうも野口には研究者肌のところがあるらしい。趣味のゴルフについても独自の理論をレポート用紙30枚くらいにびっしり書いたことがあるという。それを親しいプロに見せたところ、3行も読まずに「勘弁してくれ」と返されたとか(※3)。

 ゴルフを始めたのは23歳のとき。トップアイドルとして同年代の西城秀樹・郷ひろみとともに「新御三家」ともてはやされ、多忙をきわめていた頃だ。当時すでに自宅にスタジオをつくり、24時間音楽浸けの生活を送っていた。そのため健康を心配したスタッフにある朝、強引に車で連れて行かれたゴルフ場で、思いがけずナイスショットを出したことから、すっかりハマってしまったという。

ゴルフにものめりこんだ野口 ©文藝春秋

華やかな経歴の裏で、経験した挫折

 バラエティや俳優としてドラマなどでも活躍し、私生活ではタレントの三井ゆりと結婚するなど、野口の経歴は一見すると華やかである。だが、これまでには挫折もたびたび経験してきた。

 デビューする経緯からして波乱続きだった。中学時代、歌手を夢見て故郷の岐阜から上京、作曲家の米山正夫の門下に入り、デビューが決まりかけた。だが、直後に変声期が来て、自慢のボーイソプラノが出なくなってしまい、一旦はチャンスを逃す。その後、声が安定してから、1971年5月にようやくデビュー曲「博多みれん」をリリースするも、しばらくは鳴かず飛ばずで、売り込みのためドサ回りも経験した。