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西城秀樹と故郷・広島の物語……50年以上大切に保管していた“学生帽”に込められた思い

2020/12/11

 ここに一つの帽子がある。いわゆる男子学生が学ランを着たときに被る黒い学生帽、学帽である。時代を感じるものの、汚れや型崩れはほとんどなく、大切に保管されていたものだとひと目でわかる。裏を見ると、ツバの裏に「T」「K」「S」と、白いマジックでだろうか、大きく描かれている。そして、小さなネームタグには、「木本龍雄」とある。少年っぽい文字で描かれたイニシアルと名前。そう、木本龍雄は西城秀樹の本名であり、この学帽は、西城秀樹のものなのだ。

 
保管されていた西城秀樹の「学帽」

 なぜ、この学帽は捨てられることもなく、事務所の倉庫に静かに眠っていたのだろうか。

 そこには西城秀樹の学生時代の出来事や、音楽の原点となる思い出が詰まっていた。

バンド活動をしていた広島での日々

 西城秀樹は、広島市広島駅の近く、東蟹屋町(現・東区東蟹屋町)で、1955年4月13日に生まれた。ジャズギターが趣味だった父親の影響で、幼いころから音楽、とりわけ洋楽がいつも周りにある環境で育ったという。日本の演歌や歌謡曲ではなく、欧米のジャズやロックが木本龍雄少年の全てだった。西城秀樹の音楽のルーツは、広島での幼少期、父親と、3歳違いの兄によるところが大きい。また、広島という土地は、米軍の岩国基地も近く、最新の洋楽に触れる機会が多かったのも、西城秀樹にロックの素養が培われた理由なのだろう。

 兄は、秀樹にとって特別な存在だった。その影響で広島市立尾長小学校3年生のころエレキギターを始め、その後ドラムも学んだ。5年生になったころには、中学生だった兄と『べガーズ』というバンドを結成、ドラムとハモリを担当。小学生ドラマーとして知られた存在だった。レパートリーは、ザ・ベンチャーズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリクス、シカゴなど。勿論、ビートルズの影響も受けたという。同級生には、洋楽を聴く仲間がいなかったため、音楽について話をするのは兄を中心とする年上のバンドメンバーだった。「将来は、イギリスに住んでミュージシャンを目指したいと思うようになったのも、このころだ」と、雑誌のインタビューで語っている。

中学1年生のころ「シェー!」をする秀樹

「シェー!」をする写真は中学1年生のころだが、昭和の少年らしい一面と、大人に混じって洋楽に熱中し、バンド活動をする大人びた一面をもつ子供だったようだ。

 のちにコンサートで広島を訪れたときに、『明星』や『セブンティーン』の取材で、母校である尾長小学校を訪ね、小学生に囲まれた笑顔の秀樹の写真が残されているが、一緒に写っている子供たちにとっても、自慢の先輩だったに違いない。(写真4)広島出身のミュージシャンは、矢沢永吉、吉田拓郎、世良公則、吉川晃司……など数多いが、奥田民生もそのひとり。しかも秀樹と同じ尾長小学校の出身である。

 中学2年生のころ、『べガーズ』は解散、メンバーを変えて『ジプシー』を結成。ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し、中国大会で優勝もしている。とにかく、このころの木本少年の頭の中は、音楽で生きていく未来しかなかった。