菅義偉首相の長男正剛氏が勤める放送会社「東北新社」による接待問題で国会が揺れている。山田真貴子内閣広報官は、会食の場において「不適切な働きかけはなかった」と報告するものの、一切の見返りなしに高額な接待を複数回行うことがあり得るのだろうか。
菅義偉氏には総務大臣就任直後、放送に対する政治介入ともとられかねない積極的な動きがあった。“放送”に絶大な権力を振るってきた男の影響力が今回の騒動の発端になったと考えることはいたって自然だ。ここでは、ノンフィクション作家の森功氏が首相の素顔に迫った『菅義偉の正体』(小学館新書)を引用。菅義偉氏の政治信条、そして総務大臣時代に行った放送局への「指示」を紹介する。(第2回の2回目/前編 を読む)
◇◇◇
新自由主義
永田町には、東北の豪雪地帯に生まれ育った菅義偉について、新潟出身の田中角栄と同じ視線でとらえるきらいがある。日本列島改造論を引っ提げ、新幹線や高速道路、空港や原発を全国に網羅していった田中に対し、菅もふるさと納税などを提案し、地方の活性化を訴えてきた。鉄道や道路など運輸行政についても関心が高い点からも、田中とダブらせて語る向きもある。
だが、二人には決定的な違いがある。菅は小此木から政治手法や政策を学んだ。師である小此木は、中曽根康弘が欧米の政策に倣って導入した構造改革や民活路線の旗振り役でもあった。旧国鉄の民営化などがその最たる政策である。
つまるところ菅は東北の田舎臭いにおいを周囲に振りまきつつ、田中角栄のような公共工事重視の地方土着型の政治家ではない。中曽根民活路線時代から小此木彦三郎を支援してきた鉄道・運輸業者を自らの味方につけ、その後、小泉純一郎が進めた規制改革、いわゆる新自由主義路線のレールに乗ってきた。本人が意識していたかどうかは別として、そこでは旧田中派、つまり平成研の実力議員たちと衝突せざるをえなかったのだろう。
自民党をぶっ壊す─というキャッチフレーズがすっかり有名になった小泉と同じく、一時は自民党内で反乱分子ととらえられる。小渕派を飛び出した梶山を担いで、野中と衝突したのも、その一例にすぎない。その点を小此木八郎に尋ねてみた。
─菅の原点は中曽根民活にあるのか。
「それはたしかにあると思います。だからいわゆる昔のような族(議員)じゃないんだよね。この問題についておまえらは入れねえ、おれが専門家だ、という話にはしない。たとえば農協改革にしてもそう。農産物を内向きのものだけで済ませてしまえば、日本は終わってしまう。海外に手を伸ばし、流通を結べるような成長戦略を描かなければならない。菅さんの主張は、ぜんぶ理からきているんです。自分の理屈を通すというのは大切ですよね」