安倍晋三と菅義偉の出会い
─そもそも付き合いはどこからか。
「もとをたどれば、私がまだ当選二回のときでした。自民党の総務会で私が『北朝鮮に対する制裁法をつくるべきだ』と発言した。拉致問題が判明した当時、九州に不審船が入ってきて大きな問題になっていた。で、日本人を拉致した国の船(万景峰号など)が、日本の港に自由にやってきていたわけです。なのに、それを止める法律がなかった。自立した国として、法律をつくるべきだと党の部会で強く主張したのです。それが新聞に載り始めて、安倍さんの目にとまったのだと思います。小泉内閣当時の安倍官房副長官のときでした。『一度会いたい』という話があったんです。そこが始まりです」
北朝鮮問題の専門家でもなく、それまで関心が高かったわけでもない菅が、北朝鮮に対する制裁を法制化すべきだと訴えたきっかけは、むろん小泉政権時代に北朝鮮が認めた日本人拉致問題だろう。国会議員として当然ではある。
国会議員としてのアピールにもつながった北朝鮮問題への尽力
─なぜそんなことを他の議員は考えなかったのか。
「拉致問題はおかしいというのは、政治家として誰もが思っていたと思います。しかし、それをどうやって解決するか、と考えたとき、制裁法がなかったのです。あの船が拉致の司令塔のような役割を果たしてきたという“警告本”も出ていたのに、何もしなかった。当時日本は、北朝鮮に援助するか援助しないか、という選択しかなく、制裁の方法は何もなかったんです。それに対して安倍さんが『菅さんの発言は正しい。だから私も実現できるよう菅さんのことを応援する』と助言していただきました。そういう付き合いのなかで、『この人の国家観はすごいな』と思いました。(安倍の)政治家としての懐の深さというか、そこに感服しました。いつか総理大臣になる人だと思いました」
万景峰号入港の制裁については前提となる事実に基づいた異論もあろうが、少なくとも時流に即してはいるし、理屈も通っている。菅は議員立法として制裁法を国会に提出し、成立させている。それもまた菅の国会議員としてのアピールになっている。何より拉致問題で名を売った安倍にとって同志を得た思いだったのはたしかだろう。