菅の近親者たちは必ずと言っていいほど、政治家として菅が飛躍した転機の一つとして、この総務副大臣経験を挙げる。換言すれば、それまでの菅は大して注目されていなかったということだ。郵政民営化は小泉が方向を決め、竹中が指示し、菅が仕上げた。郵政民営化の実現により、実務に長けた政治家として菅の評価が上がったのは間違いない。
2012年12月、自民党が民主党から政権を奪還し、第二次安倍晋三内閣がスタートすると、菅は民営化された日本郵政の社長人事に手をつけた。翌13年6月、社長に就任して半年しか経っていない元財務次官の坂篤郎を顧問に棚上げし、東芝元会長の西室泰三(故人)を後任に据えた。民主党寄りと見られた坂に対する露骨な人事介入だとも批判されたが、本人はそれを尻に聞かした。
安倍との出会い
言うまでもなく自民党内で一目置かれ始めたそんな菅をさらに政界中枢に引き立てた最大の恩人は、安倍に違いない。安倍は2006(平成18)年夏、6年におよんだ小泉長期政権の終わりが近づくにつれ、後継首相候補の最右翼と目されていた。そこで菅は安倍を担ぎ出した。安倍を首相にした功労者の一人でもある。
「安倍さんの初めての総裁選のとき、どうして安倍さんを担ぐのか、と菅さんに尋ねたことがありました。理由は理解しづらいかもしれませんが、菅さん独特の感覚とでもいえばいいのでしょうか。いつもそうです」
小此木八郎が安倍と菅との関係について、話した。
「小泉さんが初めて総裁になったとき、実は菅さんは橋本龍太郎を推していました。『八ちゃん、悪いな、橋本龍太郎が出ると言うから、仕方ない。俺はもともと橋本派だったから(義理もあるので)やらなきゃいけねえっ』と言うんです。(いまさら橋本でもないから)僕はそのとき麻生さんを担ごうとしたけど、麻生さん本人が出なかった。それで、何年か経って今度は安倍さんだと言い出した。それで改めて聞いてみたのです。すると菅さんは、『安倍さんが北朝鮮問題を真剣にやっていたからだ』というのです。党の拉致問題関連部会でいっしょだったみたい。ちょうど菅さん自身も、万景峰号の入港問題に取り組んでいたころで、『この人を立てていこうと決めたんだ』という話をしていました」
安倍との出会いについて、菅本人のインタビューで尋ねた。