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『紅白』の「格闘技」

 話題を大晦日に戻そう。NHKの『紅白歌合戦』を脅かしたTBSの格闘技番組は、01年大晦日の『最強の格闘王決定戦!! 猪木軍VSK-1最強軍全面対抗戦完全決着!!』が端緒だった。

 02年も『イノキボンバイエ2002最強の格闘王決定戦!!』として放送、16.5%という高い視聴率を稼ぎ出した。それを見た日テレがアントニオ猪木側との交渉をまとめ、03年に「猪木祭」の放映権を獲得した。

 そこでTBSは「K-1」に絞り込み、フジはホイス、ダニエルのグレイシー一族や柔道の吉田秀彦(五輪金メダリスト)、総合格闘家の桜庭和志らによる「PRIDE」を取り込んだ。

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 こうして大晦日の格闘技番組は三つ巴となったわけだが、じつは今日に至る格闘技ブームを作り出したのはフジテレビである。

 フジが東京・代々木でそれまでの国際スポーツフェアを衣替えしたイベント「LIVE  UFO」を仕掛けたのは93年のゴールデンウィーク。そのイベントの中でK-1大会が実現したのだった。

「K-1」は、空手、キックボクシング、拳法など、立ち技(打撃系)格闘技には頭文字に「K」のつくものが多いこと、ノックアウト(KO)で決着する試合が目立つことから、そう名づけられた。

©iStock.com

 第1回K-1大会のチケットは、販売開始から1時間で完売し、1万2000人もの観客を集めた。その試合の模様は、試合当日の26時30分(正確には翌日午前2時30分)から放送したが、深夜ながら3.1%の視聴率を上げ、その時間帯の占有率は38.9%に達した。

 このため同局は、翌94年から大会数を増やし、放送時間帯も休日の午後に移して視聴率、営業収入アップを図った。

極めてテレビ的なソフト

「K-1は(高視聴率・高収益番組として)“化ける”可能性が大きい」と考えた同局は、95年9月、「格闘技関連事業開発委員会」(略称・格闘技委員会、委員長・出馬迪男専務=当時)を発足させた。委員として集まったのは、編成部スポーツ担当の清原邦夫をはじめ、媒体開発局や社長室の社員、スポーツ部プロデューサー、スポット営業部員などで、横断的なプロジェクトチームとなった。清原は初めてK-1を見た時の印象をこう語る。

「出場している選手は皆初めて聞く名前ばかりだったのですが、素人が見ても非常にリーズナブルなスポーツだと思ったんですよ。倒すか倒されるか、勝敗がわかりやすいですし、展開もきわめて速い。柔道などの組み技系の格闘技は技術もルールも複雑ですけど、立ち技系はシンプルそのもの。極めてテレビ的なソフトだと感じました。心身ともに躍動感を覚え、気持ち良くスッキリ見てもらえる演出を心がければいける、との印象を持ったのです。以来、『これは、将来ゴールデンタイムでやれる』と言い続けました」