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K-1をめぐる主催者とテレビ局の思惑

 あとは、「楽しくなければテレビじゃない」のフジらしいノリで、K-1を高視聴率番組、若者中心の一大イベントにするための仕掛けを施していくのである。

 まず、毎月第2月曜日27時台(火曜日午前3時台)のボクシング番組『ダイヤモンドグローブ』のセールスを担当していたスポット営業部員たちが、格闘技選手たちをテレビCMに起用するようスポンサーに働きかけた。K-1の認知度を高めるためで、正道会館所属の佐竹雅昭が日清食品の「桃金ラーメン」のCMに起用されたのをきっかけに、スイス出身の空手選手アンディ・フグも同社「強麺」のCMに登場した。ツムラの育毛剤のCMには佐竹、フグのほか、正道会館オーストラリア支部所属のサム・グレコも出演した。

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 次に、96年4月、木曜日深夜枠で始まった格闘技情報番組の司会には、田代まさしと並んでモデル出身の藤原紀香を起用した。それは、司会もゲストも解説者も男性中心という格闘技情報番組の常識を打破するものだった。その後藤原は、K-1中継に欠かせないタレントになり、女優業にも進出する。

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 そして中継時の演出である。K-1放送を始めた当初からなのだが、リングサイドには国内の人気アイドルから映画の封切に合わせて来日したハリウッド・スター、野球やサッカーを中心とするプロスポーツ選手などを招待、彼および彼女たちがファイト、KOシーンに熱狂している姿を映し出した。視聴者からすれば、あの人もこの人もK-1のファンなのかとなる。いわばファン層拡大、視聴率増対策だ。選手の登場シーンは、レーザー光線、スモークにロックコンサート顔負けの音響効果で盛り上げた。

各局に類似番組が広がるワケ

 K-1の放送時間は深夜から土・日曜の午後を経て、同年10月にはゴールデンタイムに進出した。『K-1 スターウォーズ’96』は、しばらく休養していた佐竹とフグの熱戦もあって平均視聴率15.6%と15%の合格ラインを超えた。翌年11月の日曜日19時から放送された『ツムラ K-1グランプリ’97決勝戦』は平均視聴率20.7%を記録した。

 このK-1人気を他局が黙っているわけがない。98年には日テレに『JAPAN シリーズ~K-1 JAPAN GP』が誕生した。コンセプトは、世界王者になれるような強い日本人アスリートを育てることだ。01年8月19日の日テレ『JAPAN GP』のミルコ・クロコップVS藤田和之戦がきっかけになり、「K-1 VS 猪木軍」「K-1 VS PRIDE」といった格闘技戦がテレビ画面を賑わすようになるのである。

 K-1がフジから日テレ、TBSへと広がった背景には、主催者正道会館の拡大戦略と同時に、「柳の下にドジョウは2匹、場合によっては3匹いる」と考えるテレビ界の体質がある。

 一つの番組がヒットすると、類似番組が次々と生まれ、やがていくつかの番組が淘汰されていく。そして残った番組も形を変えたり、放送時間を移動して、いずれ編成表から消えるというプロセスを辿る。それは一つの産業あるいは商品の盛衰に似ている。

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