「何が何だかわからないうちに終わる」
主フの一日は一言で言えば「何が何だかわからないうちに終わる」というのがしっくりくる。主夫になりたての4年前は次女が2歳で家にいたのだけど、朝から晩まで自分の時間がない。子どもがいるというのは本当に自分の時間がないのだ。しかも、親が子どもと離れられないのは授乳やオムツ交換が欠かせない乳児期だけではない。子どもがテレビなどのメディアに集中するようになる4、5歳ごろまでは本当に自分の時間は皆無。
「ちょっと待ってね」それができない
例えば部下が「ちょっといいですか」と声をかけてきたとする。手が離せなければ「ちょっと待ってね」と言いますよね。
子どもはそれができない。
自分の描いた絵を、ダンスを、変な顔を、「今見て!!!」と要求してくるのだ。従わなければ大泣き。これがものすごくコマ切れに、それこそ数十秒単位でやってくる。断続的に自分のやっていることを容赦なく中断させられるのは精神的にもきついし、何より家事が一向に進まない。
人の面倒を見ながら仕事をすることの無理ゲー感
冒頭で満員電車に揺られて~と働く側の一日を描写した。確かにたくさんのことをこなしているけど、それは一人で、身軽に動けるから可能なのだ。
家事というタスクも一人ならまだいい。子どもの面倒を見ながらやるから大変なのだ。
見て見て攻撃、感情が安定せず泣いたり怒ったりする、食事の用意、汚したら着替えさせる、遊び相手になる、昼寝をさせる(すぐ起きる)、見て見て攻撃……。こんなことをしていると一日は一瞬で過ぎていく。自分の時間どころか、家事を満足にこなすこともできない。サラリーマンだって、部下の世話で一日つぶれたのに、上司に「今日一日何やってたの?」と言われたら、「あいつの世話してたんだよ(怒)」となりますよね。
「何やってたの?」やらなかったのではなくできなかったのである
つまり外で働く側が帰ってきて家事が進んでいないように見えるのは、延々と続く子どもの相手をしていたからだ。要するに「何やってたの?」に対する回答は、やらなかったのではなくできなかったのである。だから仮に家が散らかっていても、家事が進んでいなかったとしても、相手を決して責めないでほしい。
パートナーは日中に、この世で一番大変な仕事をしていたのだから。
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