行方不明になった見学氏と1億円
見学氏は「私の判断はコンピューターより正しい」と豪語し、高級品を身に付け、高級クラブで毎晩飲み歩く派手な生活でも知られるようになる。
88年1月。見学氏は、知人のビルオーナーに電話して「株取引で必要になった」と言って現金1億円を用意して貰い、自分の運転手に大阪市内のファミリーレストランの駐車場まで運ばせた。運転手には「キーを付けたまま帰れ」と命じ、その後車中の1億円は消え、見学氏は行方不明になった。
岡本死刑囚は収監後に手記を発表し、生い立ちから犯行までを書き残している。
大阪の西成で生まれ、5歳の時、可愛がってくれた叔父が27歳で刺殺される。不良となり、夜の街で働きはじめた。その後、高金利で取り立てが厳しく、社会問題化していくサラ金業界に入り、山口組系暴力団組長から盃を貰った。
犯行のきっかけは、共犯となる投資顧問業の末森死刑囚から、「コスモ・リサーチは5億、10億の現金を定期的に東京から大阪まで新幹線で運んでいる。裏金であり、奪っても警察には通報しない」と持ち掛けられたことだった。そこに暴力団顧問が加わり3人は犯行に着手する。岡本死刑囚は29歳、他の2人も30代半ばだった(暴力団顧問は無期懲役刑)。
3人は、コスモ・リサーチの男性社員をマンションの一室に拉致して見学氏の家を聞き出し、翌朝、見学氏を家の前で拉致して同じ部屋に連れ込んだ。見学氏を脅し、電話をかけさせて1億円を奪ったのである。
拉致された時、見学氏はブルーの革ジャンを着て、ダイヤの指輪、ダンヒルの腕時計、金のブレスレット、現金40万円が入った財布、護身用スタンガンの他に、山口組の直系組長しか持っていないはずの特別なテレホンカードを持っていた。