2018年12月末、大阪拘置所で、暴力団員だった岡本(旧姓:河村)啓三死刑囚(60)と投資顧問業だった末森博也死刑囚(67)の死刑が執行された。
2人は1988年1月に共謀して2人を殺し、1審で死刑判決。死刑執行まで逮捕から30年、上告棄却による死刑確定から14年が過ぎていた。
この年はオウム真理教事件による13人とこの2人を合わせて1年で15人の死刑が執行され、執行公表をはじめた98年以降で08年と並んで最多となった。
この時点で執行を待つ死刑囚は110人に上っていた。死刑は判決の順に執行されるとは限らない。山下貴司法相は会見で、2人を選んだ理由について「お答えを差し控えさせていただきます」と述べている(会見録より)。
運用資産が1000億円を超えたと言われた見学和雄氏
2人が殺害したのは、バブル黎明期に大阪で派手に株を買い上げ、「北浜の風雲児」と呼ばれた投資顧問会社コスモ・リサーチ社長の見学和雄氏(当時43)と、部下の男性社員(当時23)だった。
見学氏は大阪の岸和田市で生まれ、高校卒業後に北浜の地場証券会社に入社した。
74年、油圧機器メーカーの株をめぐり、“最後の相場師”と呼ばれた是川銀蔵氏の売り注文に対して買い注文で対抗し、株価を高騰させて一躍名が知られる。退社後は鳴りを潜めるが、86年にコスモ・リサーチを率いて北浜に復帰し、大阪市場に上場する関西銘柄を次々と買い上げて高騰させる。高騰した株を担保にさらに資金を調達して投資し、瞬く間に運用資産が1000億円を超えたと言われた。
見学氏は自ら投資すると共に指南役となり、他の仕手筋、不動産業者、暴力団などが共に株を買い上げた。行動をともにした者たちの中には、奈良県の木材産地・吉野町の実業家らによる「伝説」とも言われた投資集団「吉野ダラー」も含まれていたという。