バイデン氏は吃音を「克服した」のか?
――バイデン氏は様々な場面で吃音を「克服した」と話していますが、「克服」という表現に対してどう思いますか?
ぽん 「克服」という言葉は吃音者の間でも度々出ますが、人によって定義が違う気がします。症状を完璧に消す事と捉える人もいれば、症状があっても「その苦しみをある程度受け入れることができた」という意味で使う人もいますね。
今、障害学の世界では、障害の原因を個人にではなく、社会のあり方に見出す「社会モデル」の考え方が主流ですよね。
――たとえば「身体障害を持つ個人がリハビリをがんばるべきだ」という考えに対して、「むしろ街や制度の設計を見直すべきだ」とするような考え方ですよね。
ぽん ええ。吃音者の間ではそういった考えはあまり浸透しておらず、症状を「克服」し健常者の世界に適応しよう、という志向はまだまだ強いと思います。
吃音が社会的人格に影響を及ぼす
――吃音が対人関係に影響してくるのはどんな時ですか?
ぽん 喋るのに時間がかかっている時はすごく相手の時間を無駄に使ってしまっている気持ちになるし、「この時間、何なんやろ」と思われることへの恐れもあります。あとは単純に、からかわれたり、笑われたりも実際ありますし。
「物凄く緊張している」と誤解されることも多くて、「緊張しなくていいよ」とかもよく言われますね。あとは、軽い話をしたいだけなのに「この人は今から重大なことを言おうとしている」と誤解されたり……(笑)。
これらが相手との対等な関係を築く上で障壁になることもあります。
――なるほど。『どもる体』(医学書院)という本では様々な吃音者が登場しますが、「ディズニーシー」を「ナントカシー」というふうに言い換えて苦手な単語を回避するために、普段から「適当キャラ」を装っている、という方が登場しました。ぽんさんも、吃音が社会的人格に影響を及ぼす感覚はありますか?
ぽん 僕も適当に喋ってる風を装うことはよくあります。他方、考えるふりをするには思慮深いキャラが良かったり。一貫性に拘り過ぎると辛いのでその都度演じやすいキャラを使っているかもしれません。
――バイデン氏は人格を全否定したり認知症と断定するような中傷も無数に受けたそうです。
ぽん リーダーは強さを求められがちですが、吃音によって若干弱そうに見えることもあるでしょう。
これも社会的地位を掴む上でも障壁になりうる面があると思います。