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 命についての重要な判断なので、話し合いは何度も重ねられる。しかも一度決めたら終わりではなく、判断は変わることもあることも含めて、一緒に考えていくべきだという。

 岡教授は、このような考えはACP(アドバンス・ケア・プランニング)と呼ばれる、終末期の治療・療養について、患者・その家族と医療従事者が事前に話し合って合意を形成するプロセスにつながると述べる。

“その時”が来たらどうするか?

「ACPにおいて私たちは、治療を行った場合にどれぐらいの確率で救命できるのか、治療後に社会復帰できる見込みがどの程度かということまで説明します。特に高齢者で複数の合併症をお持ちの方は、回復の過程で亡くなってしまうことも少なくありません。これらを全て説明した上で、治療を受ける意思があるか、家族が支えていく覚悟があるかどうかを、患者さんやご家族と話し合っていきます」

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岡秀昭氏(埼玉医科大学総合医療センター総合診療内科・感染症科教授)

 一方で、コロナのような感染症でACPを持ち出すことは、限られた医療資源の配分の言い訳に使われると危惧する声もある。さらに、通常は延命を希望しない人でも、「コロナだけでは死にたくない」という高齢者もいる。一般的な終末期のACPとコロナとは、同一にできない点もあろう。

 ただ少なくとも、終末期であろうと感染症であろうと、万が一の場合に自分はどうしたいかを考えることは、主体的に人生を生きるための一助になる。

 岡教授は言う。

「重要なのは、自分に“その時”が来た場合にどうするのか、日頃から熟慮しておくことです」

出典:「文藝春秋」3月号

 河合香織氏による岡秀昭・埼玉医科大学総合医療センター総合診療内科・感染症科教授へのインタビューは、「文藝春秋」3月号および「文藝春秋 電子版」掲載の「絶望の『重症者病棟』から」をご覧下さい。

文藝春秋

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絶望の「重症者病棟」から