文春オンライン

「こういう状況になりましたが…」震災で娘を亡くした教師の私が卒業式でふりしぼったある言葉

『きみは「3.11」をしっていますか? ~東日本大震災から10年後の物語~』より

2021/03/11
note

出会いは必然

 住野よるさんの作品「君の膵臓をたべたい」の一節に、「それぞれが人生の中で選択した結果として『出会い』があり、それは偶然ではなく自分の意思である」という内容のセリフが出てきます。人生は選択の連続であり、どこかで選択したものが違っていれば、出会うものも変わってくるのです。震災がなければ、出会うことのなかった誰か。時に出会いの不思議さを思う時がありますが、それは互いの意思でもあるということを思わずにはいられない出来事が、ここ10年で数多く見られました。

震災がなければなかったであろう出会いの数々

 僕は選択の結果として、教員の道を歩むことになりますが、震災後に赴任したO中学校の5年間では、震災がなければなかったであろうたくさんの意味のある出会いがありました。被災した子どもたちのために、物心両面で、たくさんの支援がありましたが、来た人たちの生き方、在り方、そして人間性がたまらなく魅力的なのです。そうしたご縁をいただけたことを、人生の選択の結果としてとらえられることは、とても幸せなことでした。時には、僕の境遇を話したことで、涙し、耳を貸してくれる人たちがいたことで、自分という人間の存在が認められたようでうれしくなることもありました。

©iStock.com

 それは赴任したO中学校の後に赴任したA中学校での出来事でした。

ADVERTISEMENT

 Aさんは震災に関連するあることで、とても悩んでいました。悩みを聞いたスクールカウンセラーは、震災のことであればと、僕と話をすることを勧めてくれました。Aさんには、最初に自分の境遇について話をし、役に立てることがあるならばと申し出ました。するとAさんは、5年分の思いを僕に話してくれました。