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3月12日に行うはずだった「卒業式」

 震災当時に務めていたI中学校には震災後の特別な勤務ということで4月8日まで働き、その後、沿岸部のO中学校へ転任することが決まりました。

 お別れの儀式となる「離任式」は、3月12日にやるはずだった「卒業式」のあとに行うことになりました。I中学校の体育館は、避難所として使われていたので使用できず、どちらの式も、学区内の小学校の体育館を借りて3月末にやっと行うことができました。3年間ともに過ごした生徒とのお別れ、そして6年間お世話になった学校とのお別れ、本来であればどちらも大切にしたい行事ではありますが、震災後の混乱の中、形はどうあれ、やれることだけでもよしとしなければならない状況でした。お別れのために与えられたわずかな時間で、生徒には伝えたい2つのことを話しました。

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「どうか命を大切にこれからも過ごしてください。できるなら親より先には死なないでください」

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「こういう状況になりましたが、石巻は皆さんのふるさとです。石巻で生きていくにしても、石巻を離れることになったとしても、どこにいても、将来、この街を支える人になってください」

卒業生から掛けられた一言

 ふりしぼった言葉を受け止めてくれる真剣なまなざしを心に焼き付け、会場を後にしました。外に出ると、わざわざ来てくれた卒業生に声を掛けられました。

「先生、先生の言葉忘れません」

 それは絶望に打ちひしがれていた心に、ちょっとだけ生きる希望を与えてくれるものでした。

 2011年春。O中学校での教員生活がスタートしました。O中学校は、沿岸部の学校でしたが、かつて津波の被害があった地域だけあって、学区内の多くの住宅は比較的標高の高いところに作られていました。それでも、海に近い場所に建っていた住宅は津波の被害を受けたため、中学校から500mメートルほど離れた小学校の体育館に地域の避難所が設置されていました。

 全校生徒が20人あまりの小さな学校でしたが、家を失った者、身内を亡くした者、転校を余儀なくされて転入した者など、生徒は様々な境遇を抱えていました。学校近くの教員住宅に住んでいた先生方も、避難所住民と一緒に、寝食をともにしていました。

 教員になってから20年。教員に成り立ての頃、お世話になった先生から言われた言葉が、僕の心のよりどころとなっていました。それは、教員になったら大切にしてほしい2つのことでした。

「どんなことがあっても、子どもの前に立つときは笑顔でいること」

「自分に背を向ける子どもとどう向き合うかを常に考えなさい」

 ひとつ目の言葉の重さはこれまでの教員人生でも感じていたところでありましたが、震災をへて、さらにずしりとその重さを感じることとなりました。