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「小5の妹を孕ませた内縁の父に殺意を持って…」私はこうして“暴力団員”になりました

『だからヤクザを辞められない 裏社会メルトダウン』より #1

2021/03/17
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そして男はヤクザになった

 まず、元暴Eさん。彼のことを書くのに、筆者はメモを見るまでもありません。あまりにも凄絶なその人生は、一度聞くと、忘れることができないものでした。子ども時代の概要を、本人の言葉でご紹介しましょう。

 ちなみに、この元暴Eさんとは、2014年に関西で出会い、話を聞くことができました。年齢は筆者とほぼ同年で、身長が170センチを少し超えるガッチリとした体格の持ち主です。風貌で印象的な点は、鬼のような入墨の眉毛。太さが通常の倍はあります。『北斗の拳』のケンシロウも真っ青です。暴力団員として生きているときは非常に有効な眉毛であったと思いますが、カタギの中で生活するためには、いつもソフト帽を目深にかぶっていました。指も数本が欠損していますから、バルタン星人のようでした。その後、元の暴力団組織に幹部として戻ったと彼の消息を風の便りに聞いたのは、2019年の秋です。

父親は指名手配犯

「おれの家は、親父が指名手配犯やったんですわ。せやから、あちこち逃げ回る生活でしたんや。おれが小学校に上がる前の年に関東で死にまして、オカンはおれを連れて、郷里に帰ってきたんです。そんとき、オカンの腹には妹がいてましたんや。

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 帰郷して直ぐに、親父の友人いうんがなんや世話焼くいうて、家に出入りし、そんうちにオカンと内縁関係になりよりました。おれとしてはどうということは無かったんですが、ある事件──いうてもしょうもないことですわ──を切っ掛けに、虐待が始まったとですわ。

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 あるとき、まあ、おれが小学校1年位やった思います。そのオッちゃんから『おまえ、そないにアイスばっか食いよったら腹下すで』と言われたんで、『関係ないわ』というような返事しよったん覚えています。そんなことでも、まあ、殴る、蹴るの虐待の毎日ですわ。こっちは子どもですやん、手向かいできんかったですわ。それからですよ、路上出たんは。

 まあ、小学校低学年ですやろ、公園のオッちゃんらのタンタン(たき火)当たりたいですが、怖いやないですか。で、あるとき、気づいたんですわ。こん人らが飲みよる酒(ワンカップ)持っていったら仲間に入れてもらえんちゃうかとね。子どもの手は、自販機に入りますから、相当抜いて持っていきましたわ。案の定、喜びはって『若!』『大将!』とか呼ばれて仲間になってましたわ。