暴排政策の浸透により、暴力団は弱体化し、構成員数は減少の一途をたどっている。一方で、反比例するように台頭してきているのが“半グレ”と呼ばれる準暴力団たちだ。

 そんな半グレにはおおむね4つのパターンがあると主張するのが、ヤクザに関する著書を多数執筆している廣末登氏。その分類とは「(1)関東連合やドラゴンに代表される草創期の半グレ」「(2)オレオレ詐欺の実行犯」「(3)ウラのシノギをしつつ正業を持つグループ」「(4)暴力団を離脱したものの正業につけずシノギで食いつなぐ者」というものだ。ここでは、同氏の著書『だからヤクザを辞められない 裏社会メルトダウン』(新潮新書)を引用し、(1)に分類される半グレ集団所属男性の体験談を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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「盃がないからスタートラインに立ちやすい。明日からでもオーケー」

 半グレⅤ(30代半ば)西日本地方都市

 多くの暴力団員や半グレと異なり、V氏の生い立ちは決して恵まれないものではなかったようです。

「父親は地元では結構、名の知られた企業のサラリーマンです。母親は専業主婦。家庭に対する不満は特になかったんですけど、母親が英才教育志向のため、ガッツリ塾に行かされました。

 小学校5年生頃から中1にかけてイジメにあったんです。ワルな幼なじみが中学の同級生にいて、『おれと一緒にいたらイジメにあわん』と言ってくれて、不良グループの一員になった。結局、中学校2年後半から学校には登校せず、夜は遊んで、昼は寝るという生活。当時、不良中学生なら、それが普通のライフスタイルだったと思う。

 高校には行って卒業もしましたよ。でも不良なのは相変わらずで、窃盗と恐喝を繰り返してた。16歳の時には大人を脅して200万円取って、そのカネでホテル暮らしをしていましたからね」

 この後、彼は暴力団に身を寄せます。

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「17歳の頃には組事務所の当番に入ってました。その時、偶然にも、組に自分の父親が絡んだ空手形が回ってきた。結局、手形の振出人が察知し、父親にも電話が入って空手形とバレた。父親が組に目を付けられたなんて、当時はガキだったので怖くなり大阪に飛んだんです。

 関西では最初、ヤクザのフロント(企業)の水商売をしていました。しばらくして水商売は未成年だとバレたらまずいと言われたけど、(偽造)身分証明書が用意出来なかった。それでクビかと思ったら、親分の運転手や家の掃除などに回されて給料をもらっていた。フロントの水商売の組織から、特攻服を着せられて『似合うやんか、そろそろ腹決めんかい(組員になれ)』と言われたけど、組織の盃は受けませんでした。

 なぜ自分は盃しなかったか──ひと言で言うと、(ヤクザに)向いていない。グループが好きではないんです。人が集まると、必ず裏切りがある。自分が一人親方でやっていたら、やりかぶっても(下手を打っても)自己責任です」