ストーカー、プライバシーの侵害…問題が噴出
投稿雑誌が無視できない部数になり、パンチラ、追っかけ、ストーカー、プライバシーの侵害といった問題も噴出。原宿などにアイドルの生写真を販売する店ができ、2000年代に入ると生写真やサインがネットオークションなどで売られるようになる。それまで大目に見ていたタレント側も、さすがに対応策を強めていったのは無理もないところだろう。
「出待ちが厳しくなり始めたのは90年代に入って少し経った頃。最初にエイベックスがタレントを撮影禁止にしちゃったんです。たとえば安室奈美恵なんか顕著で、所属事務所のライジングプロはそれまでそんなに厳しくなかったんですが、95年に小室哲哉がプロデュースするようになって以降、急に写真もサインもダメになっちゃった」
95年に起きた地下鉄サリン事件の影響も大きかった。メディアやイベントのセキュリティが格段に厳しくなり、出待ちができる場所もどんどん少なくなっていったという。
「テレビ局も先週まで大丈夫だった場所が急に入れなくなったりして、もう諦めるしかなかった。TBSやテレ朝も新社屋に建て替えてから難しくなりましたね。撮れるかどうかわからない1枚のために何時間も出待ちをするような人はどんどん少なくなって。仕方なく僕もサインは諦めて、機材を揃えてイベントやコンサートで写真を撮るようになりました」
ちょうどその頃から増え始めたのが、「誰誰の写真を雑誌で使わせてくれないか」といった出版社からのアプローチ。斎藤さんはそうした縁もあって、本職のカメラマンとして出版業界で働くようになったという。
「僕は今、フリーのカメラマンとして、タレントさんのイベント取材の撮影などをやってます。趣味をそのまま本職にできたようなものです。出版業界に入った仲間は結構いて、アイドルの追っかけから『フライデー』の張り込みカメラマンになった人とかもいましたよ」
ゼロ年代に入ると、写真撮影やサインもアイドルビジネスのひとつになっていく。イベントも有料のものが増え、それまでのような活動は難しくなった。また、現代では誰もが手軽に撮影できるスマホを持ち、インスタやTwitterなどで手軽に発信もできる。気になるアイドルをネットで検索すれば、画像や情報もいくらでも手に入る時代になった今、かつてのカメコたちはどうなったのか。
「もちろん辞めてしまった人もたくさんいます。ただ、実は当時の仲間の半分くらいは、今でもちゃんと仕事をしながら、趣味でカメコを続けていますよ。僕だって本職にはなりましたけど、やっていることは変わっていませんからね」
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