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「腕を切ったら8畳の部屋が血だらけに…」 半グレ「怒羅権」元幹部がヤクザの腕を日本刀で落とした“顛末”

『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』トークショーより#2

犯罪と関係のない世界で、評価される場ができた

――その後、刑務所に13年間服役された。出所後、怒羅権や組の仲間と連絡を取らず、住む場所も変えて、犯罪から離れて生きようと思ったのはなぜですか。

汪楠:14歳で日本に来ていじめにあって、15歳ぐらいで非行少年になった。17歳でヤクザになり、懲役が終わって刑務所から出てきたのは42歳なんですよ。その間、まともに働いたのは1年間だけなんです。

 犯罪の手口にはめちゃくちゃたけているし、さらに刑務所、少年院、長期刑務所でも犯罪の手口を日常的に皆が話すので、犯罪に対するノウハウはすごくあるんです。だから、他の人から聞いた犯罪の失敗を繰り返さなければ、収入にはなる。

草下:犯罪が得意になっていたと。

汪楠:でも、刑務所の中にいて、非常に少ない荷物で15年間過ごすことができたわけです。せっかく生活レベルをここまで下げたんだから、俺は何にでも変われる自信があった。ラーメン屋でも、土木作業員でも、何でもできそうな気がしていた。

©藤中一平

 もちろん、いい服を着て高い店に行っていた記憶を忘れられないと、犯罪に戻る確率は高いと思います。

 人に認められたい欲求ってあるじゃないですか。ヤクザや怒羅権の組織の中にいれば「兄貴すごいね」「汪くんすごいね」「汪やるね」って褒められる。でも、組織をやめた途端に、俺の人生の中に何もないんだよね。だから、東京の東村山市に引っ越しました。それで、全く犯罪と関係ない人と、大衆酒場とかこういうイベントで知り合ってどんどん新しい友達を作った。そうすることで新しい交友関係ができて、その人たちに求められたものをがんばっていった。

 そうして、ホームレス支援や残留孤児、精神疾患のある方の支援を始めるようになりました。新しく評価される場ができたんです。生活レベルも、月の手取り12、3万円で生活できる自信がついた。そこで初めて、地元の葛西に戻ったんです。

【前編を読む】「ドライバーが体に入った感触があるんですよ。ちょっと動かしたらすごい血が出たんだよね」 半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る“初めて人を刺した日”

(2021年3月2日、ロフトプラスワンにて)

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