ヤクザの腕を日本刀で切り落とし、窃盗グループを率いて数億円を荒稼ぎ――。1980年代後半に中国残留孤児2世、3世を中心に結成され、その凶悪さから恐れられた半グレ集団「怒羅権」。その創設期のメンバーで、13年間刑務所に服役した筆者・汪楠(ワンナン)氏の著書『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』(彩図社)が話題だ。

「包丁軍団」と呼ばれた怒羅権の荒れ狂った活動の実態から、出所後に犯罪から足を洗い、全国の受刑者に本を差し入れるプロジェクトを立ち上げるまでの壮絶な人生を描いた汪氏の自伝から、一部を抜粋して転載する。(全3回の3回め/#1#2を読む)

半グレ集団「怒羅権」の創設期のメンバーだった汪楠氏 ©️藤中一平

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怒羅権の「シノギ」は何だったのか?

 怒羅権メンバーのシノギは、ミカジメや薬物関係、債権回収、詐欺、人身売買など、多岐に亘りました。その手口や詳細は人によって異なるのでここでは触れませんが、私自身のシノギについてはいくつか語りたいと思います。

 先述の通り、私は怒羅権とヤクザの二足のわらじを履いていました。ヤクザとしてのシノギとは別に、怒羅権として事務所破りと詐欺、風俗店経営などをしていました。

 事務所破りの一部始終は、例えば次のようなものです。

 あるとき、東京から3時間程のところの都市に、私とヤンさんと日本人の運転手Hさんの3人で行きました。午後9時頃から仕事を始めました。ちょうどオフィスから人が居なくなる時間帯で、町にはまだ人出がありますが、サラリーマン風のスーツを着れば目立つこともなく、ごく自然にオフィス街を物色できるのです。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 とあるマンションの管理室にピッキングで侵入しました。そして、まもなく机の引き出しから駐車料金を管理する銀行口座通帳を見つけました。さらに奥の休憩室からは、無防備にも暗証番号の付箋が貼られた10枚近くのキャッシュカードが見つかりました。

 通帳をチェックしてみると、残高の合計は200万円程。運転の報酬としてHさんに5万円、ATMで現金を引き出す役割のヤンさんには50万円、残りの約140万円が私の取り分となります。しかし、これでは少なすぎます。結局、カードだけを抜き取り、侵入した痕跡を消し、ピッキングで再び施錠して次の現場に向かいました。

盗みのプロ「ヤンさん」の慎重さと記憶力

 次に侵入したのは立派な自社ビルをもつ建材屋でした。社長室は豪華な応接セットや調度品で埋め尽くされていましたが、経理の書類は見当たりません。社内を捜索していくと、卓上にスタンプ台や電話が置いてある、ひと目で経理担当とわかる机を見つけました。近づくと、机の脇に高さ1メートルほどの据え置き金庫があることに気づきました。

 ヤンさんが経理の机を物色し始めます。ヤンさんはまったく日本語をしゃべれませんが、盗みのプロです。通帳と小切手と手形を見分けることに長けているうえ、物色した痕跡を残さない訓練も受けています。私たちは忍び込んだ会社の机で書類を偽造することがたびたびありますが、彼は1ミリもたがわずに卓上の備品をもとの配置に戻せる慎重さと記憶力をもっています。