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「鍵屋を監禁して教えさせた」事務所破りで10億円を盗んだ半グレ「怒羅権」元幹部のピッキング技術

『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』#3

2021/02/20
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 銀行側の記録によると最終引き出し時刻は午前11時5分なので、昨晩から数えてわずか14時間で我々は2500万円の犯罪利益を得たことになります。さらにこの日の夜、再び同じ会社に侵入し、500万円を引き出した口座Aの通帳を金庫に戻し、内部犯行を装う工作をし、翌日になって再び口座Bから1000万円、口座Cから1800万円を引き出しました。

 このようなことを繰り返して、私は数年の間に10億円近くを稼ぎ出しました。

 当時の私は非常に羽振りがよく、高級ホテルを泊まり歩き、「会社経営者」の肩書でレストランに出向き、数十万円のワインを次々と開けたものでした。友人の子どもの誕生日に遊園地を借り切って遊んだこともあります。とにかくカネが入ってくるので、万能感に満ちていました。

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汪楠氏 ©️藤中一平

ピッキング技術は「鍵屋を監禁して教えさせた」

 事務所破りを立て続けに成功させられた要因の1つに、私のピッキング技術があると思います。

 そのような技術をどのように身につけたかというと、当時は営利誘拐をよくやっていたので、同じ要領でまず「車の鍵が壊れた」と言って鍵屋を呼び出し、銃を突きつけてさらったのです。そしてアジトに監禁し、「お前がもっている技術をすべて教えて欲しい」と頼みました。この際、「1週間だけ時間をやる」と伝えたのですが、人というものは命の危険を前にすると死にものぐるいになるもので、彼は本当に熱心に解錠技術のすべてを教えてくれました。

 彼がいうには、私は才能があるとのことです。

 確かに、ほとんどの鍵は数分で開けられるようになりましたし、鋼の板と糸ノコギリ、サンダー(研磨機)さえあればどんな鍵でも複製することができました。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 後に私は逮捕されることになりますが、私の技術に警察や刑務所の技官たちは舌を巻き、「校長」というあだ名をつけられたほどです。犯罪の校長ということですから、名誉ある呼称とは言えないかもしれませんが。

 どんな鍵でも開けてしまうので、刑務所の職員たちは私を非常に警戒していました。一度など、警察署の武道場を借り切って、刑務所で使用している鍵を用意し、私が実際に開けられるかどうかのデモンストレーションをさせられたこともありました。初めて見るタイプでしたが、私は苦もなく開けることができました。

 これは彼らにとって衝撃的なことだったらしく、私が収監されることになった刑務所では、特別な予算を組んで、クリップをピッキングに使えない特殊なものにしたと聞きます。