ゲスト一人ひとりの魅力を引き出しながら、スムーズに番組を進行する能力が求められるテレビ番組の司会者という仕事は、芸能人の中でも限られたごく一部のみが任せられる大役といってもいいだろう。お笑いコンビ「くりぃむしちゅー」の上田晋也氏は、そんな司会業の座を長年守り続けている芸人の一人だ。
しかし、そんな彼でも失敗をすることはある。あまりの大惨事に「尋常ではなくヘコんだ」と語る失敗とはいったいどのようなものだったのだろうか。ここでは同氏初のエッセイ集『経験 この10年くらいのこと』(ポプラ社)より、忘れることのできない「世界一受けたい授業事件」を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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お遊び的に始めたゲストの名前確認だったが…
2004年からレギュラー出演させていただいている『世界一受けたい授業』という番組がある。堺正章さんが学校の校長、私が教頭、相方の有田が学級委員長という役柄で、基本的には1時間のオンエアで二つから三つの授業をお送りしている番組だ。
授業と授業の間におよそ10分の休み時間があり、収録は隔週2本録り(2週間分の収録)で行われているのだが、この6~7年、2本目の収録の前に堺校長と私の間でほぼ毎回行っているのが、1本目のゲストを覚えているかどうかを確認し合う、という作業だ。
休み時間のお遊び的なやり取りで始めたことなのだが、これがけっこう難航する。「えーっと、前の列の右端が○○さんで、その後ろが××さんで......」という具合に、多い時で10人近くのゲストをお互いに一人ずつ思い出す。1時間ほど前にお会いしたばかりなので、覚えていて当然なのだ。しかも3時間近く一緒に収録させていただいたのだから。
しかしながら、正直に言うが、堺校長はこのやり取りを始めた当初から、半分弱のゲストしか思い出せない。その時の収録でかなり印象に残る発言や動きをしたゲストですら忘れてしまっている。
「いや、校長、前列の真ん中の人は今日一番目立っていたゲストですよー」
「ん? 目立ってた? 誰でしたっけねー?」
という有様であった。私は時にうなりながら、なかなか出てこない記憶の便秘状態になりながらも、最終的にはなんとか思い出すことに成功していた。あくまで6~7年前は。ところがこの3~4年は、堺校長の正答率は6~7年前とほぼ一緒なのだが、私の正答率がグッと落ちた。時には、1時間前に一緒だったにもかかわらず、顔は出ているが、名前が出てこないという場合もあり、三つの授業のうち思い出せるのは一つの授業だけ、という、もしドラえもんに一つだけ道具をお願いできるなら、間違いなく暗記パンにする、という状況にまで陥ってしまった。これは由々しき事態である。