(マズイ、誰だ?コイツの名前なんだ?)
時間にすればおそらく1秒弱だったとは思うが、私には永遠とも思えるような時間がゆっくりと流れていた。あの日のあの時間のことを『上田の一番長い日』とのタイトルで、さだまさしさんに一曲作っていただきたいものだ。結局、名前が出てこなかったため、相方を指差しながら「はい!」とだけ言い放ち、相方だからこそ許されるぞんざいな態度で乗り切った。
相方の名前が出てこなかった、という大惨事は相方本人も、堺校長も、他のゲストの方々にもバレることはなく、事なきを得たが、私のヘコみようは尋常ではなく、500人にハグしてもらわないと立ち直れないレベルであった。あの時の収録テープは、私にとっては「ほんとにあった怖い話」として、「呪いのビデオ」と呼んでいる。
私の記憶力とプリクラの写真だけは絶対に信じない
およそ1年後、その時のことを正直に相方に話すと、相方は「終わったな」と一言だけ発し、ドーハの悲劇の時と同じ目で私のほうを見た。
相方は、以前は私の記憶力に全幅の信頼を置いており、20代の頃などは私のことを「フロッピーディスク」と呼んで、エピソードなどをなるべく数多く私に話し、私に記憶させて、のちのち「あの時俺が経験した、あの話ってどんな話だったっけ?」と、私のディスクからデータを引き出す、ということをやっていた。ところが相方は、この「世界一受けたい授業事件」を機に私の記憶力に全幅の不信感を抱いたようで、エピソードなどを話すことがめっきりなくなった。
私は、私の記憶力とプリクラの写真だけは絶対に信じない。
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