養老孟司と樹木希林は波長が合った
中野 なぜ「脳科学」といえなかったかというと、脳の見たい機能を見たい解像度とタイムコースで見ることができる機械がなかったんですよ。脳の形を見ることはできる、それから、遅い反応を見ることはできるけれども、数分とか数秒単位で脳が何をしているのかというのを計る機械がなかった。それで研究が閉塞していた時期があったんです。それが1990年代後半になって、ようやくファンクショナルMRIというMRIにちょっとオプションを付けたようなものが登場して、やっと数分、数秒単位で脳を見ることができるようになった。
内田 分析できるようになった。
中野 そうなんです。その辺りからだんだん「脳科学」という言葉が現れ始めて、今に至るんですね。
内田 私、脳科学というとすぐ養老孟司先生のことを思い出します。
中野 ああ、養老先生。そうですね。
内田 母が昔、養老先生と一緒にNHKの『驚異の小宇宙 人体2 脳と心』という番組に出演していたので。
中野 そうそう、そうでしたね。懐かしい。好きだった、あの番組。
内田 その頃、私は高校生だったかな。いつも学校が終わると楽屋に行って、養老さんと二人で話していたんですけど。
中野 養老先生は、本当は脳がご専門というわけではないんですよね。
内田 あ、解剖学の先生でした。そうだそうだ。脳はまったく関係なかったんでしたっけ。
中野 実はあんまり関係ない。でも、養老先生はすごく説明もうまいし面白いから。
内田 そうでしたね。
中野 養老先生のこんなエピソードがあります。解剖学の先生なので、試験では断面の撮像された画像とか出してくるんですよね。ある時、大腿部、つまり太ももの断層画像を「これはどこか」と聞く試験問題を出したんだそうです。すると、ぜんぜん授業に出ていなかった学生が、「脳ですか?」って答えたんですって。
内田 シワがない~。残念な脳だと思ったんですね(笑)。
中野 そう、残念な脳(笑)。それで、養老先生が「君は授業に来てなかったけど、その間、何をしていたのかね」ってお聞きになったんですって。学生は「塾でバイトしていました」って正直に答えたんです。すると先生は「何か一生懸命やっていることがあったんだったらいいよ」と言って単位をあげたんですって。なんという素敵な先生。
内田 そうですね。本当に人間味溢れる先生で、母ともすごくウマが合ったようで、番組が終わってもずっと折に触れ、交流があったんです。
中野 そうですか。そういう人間味を大事にされるというところは波長が合う、通じ合うものがあったんですね。女優と学者では、領域はぜんぜん違うけれども、人間観察をするというところでは通じるところがあったのではないですかね。
内田 母は大好きですね、そういうユニークな方をつかまえて、じーっと観察するのが(笑)。
text:Atsuko Komine
photographs:Kiichi Matsumoto