脳科学的分析より会って感じたことが一番だな
内田 話が飛んじゃいますけど、今のご主人はどういう方なんですか?
中野 普通の美術大学を出ていまして、そういうことはぜんぜん言わない人です。離婚した家は壊れた家だなんていうことは、頭の端にも浮かばないと思います。
内田 私が素朴に疑問なのは、中野さんみたいに脳科学を学んで研究されていると、誰に会っても「あ、この人の脳はこのタイプね」っていうことで片付けられちゃうんじゃないかって、失礼ながら勝手に思っちゃうんですけど、そういうことはないんですか? それとも科学は科学、人は人として、何か別の、情であったりフィーリングであったりということで出会えるんですか?
中野 そうですねえ……。
内田 分析しちゃいません?
中野 分析はしちゃいます。
内田 しちゃいますか、やっぱり。怖い~。なんか私も分析されてるような気もする(笑)。
中野 それはご心配には及ばないんですよ。実は也哉子さんは今、科学そのものの根幹にかかわる重要な疑問を言ってくださったんですけど。
内田 おっ、当たり。
中野 当たりですね。というのは、今までの研究によってわかっていることは、よく見ることができるんです。例えば、手が小刻みに震えているとか、汗をいっぱいかいているとか、そういうのは、あ、この人は私に会って緊張しているんだなというのが簡単にわかりますよね。けれども、科学でわかることというのは、統計的な事実なんです。統計的な有意差でもって明らかになるものなので、それから外れた個性のようなものは、実は扱えないことがあるんです。まだ、科学のほうが遅いんです。
なので、私はその人の本当の生の感じというのを大事にしたいと思っていて、統計的なことを参考にはするけれども、やっぱり会って感じたことが一番だなというふうに思うようにしています。
脳科学は新しめの学問
内田 なるほどね。じゃあ、今の脳科学の世界は、毎日進歩しているかもしれないけれども、実は何割程度しかわかってないんですか?
中野 ただ、100%というのがどこかもわからないので。
内田 ああ、そうですよね。インフィニティみたいなものですよね。
中野 そうそう。地図の全体がわからないから、私たちはどの辺を今歩いているのか、歩いたのは全体の何割かということがわからないんです。
内田 例えば10年前の脳科学の地点から比べると、どのぐらい進歩したとかならわかるんですか?
中野 10年前か……うーん……。
内田 10年ではわからないのか。どういうスパンがひと括りなのでしょう。
中野 脳科学の歩みというのは淡々と進んできたわけではなくて、ある時一気にガッと進んで、ちょっと停滞して、また進む、という感じなんです。
内田 そうなんですか。わりと新しめの学問なんですか?
中野 そうなんです。20年ぐらいですね。
内田 そんな若いんですね。
中野 そんな若いんですよ。昔、「脳科学」っていう言葉は聞かなかったですよね。
内田 聞いたことなかったです。
中野 昔はなんていったか、みなさん覚えています? 「大脳生理学」とか「神経科学」とかいっていたんです。
内田 そういう名前だったんだ。