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「じゃあ俺の部屋に泊まっていけ」

 死亡説とはまったく関係ない話ですが、志村さんがよく通っていた宇都宮のゴルフ場には一つ思い出があります。

 このゴルフ場にはホテルが併設されていて、志村さんはたいてい泊まりがけで行っていました。運転手の僕は早朝に志村さんを迎えに行き、ゴルフ場まで送ったらいったん帰宅するのが常でした。翌日の昼頃にまた迎えに行くわけです。

 ところがあるとき、「今日はお前も晩飯を食っていけ」と言われて、夜までゴルフ場にいました。前半のハーフを終えた志村さんを出迎える。後半のハーフが始まるときに見送る。ゴルフが終わるまではそれくらいしかやることがありませんから、ひたすら待ちです。

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「志村けんのだいじょうぶだぁ」収録現場で ©️文藝春秋

 夜になって、志村さんは言いました。

「今日はもう遅いから泊まっていけ」

 しかし、空き部屋があるかフロントで確認すると満室。こうなったら帰るしかないと思っていると、「じゃあ俺の部屋に泊まっていけ」とのお言葉でした。

「いいんですか?」

 と言ったものの焦りました。何とかして帰りたい。帰るための言い訳は何かないだろうか。頭をフル回転させましたが、妙案は浮かびません。

 僕はなぜ帰りたかったのか。それは朝にチェックインしたときに、志村さんの部屋を見ていたからです。

 そこはベッドが二つ並んだツインルームでした。ツインベッドで志村さんと並んで寝る? いやいや、ないない! 畏れ多いというか何というか、たぶん緊張で眠れません。だから帰りたかったのですが、結局うまい口実は見つからず、泊まることになりました。

「志村さんのいびき」のタイミングでトイレの水を流す

 志村さんは朝からのゴルフで疲れているし、お酒も入っていましたから、早めに眠りにつきました。しかし、僕はまったく眠くなりません。自分からわずか数十センチのところに国民的大スターが寝ているのですから、緊張して眠れるわけがない。

 付き人になってから、僕は仕事には少しずつ慣れていきました。しかし、志村さんに対しては「慣れる」ということはありませんでした。いつまでたっても緊張しながら向き合っていたのです。

 2015年の夏、志村さんとお酒をご一緒する機会がありました。そのときに、

「お前、まだ俺に緊張しているよな」

 と言われました。2015年といえば志村さんと出会ってから20年以上も過ぎています。その時点ですら緊張していたのですから、付き人2年目の僕がどれだけ緊張したことか。

 横になっていてもバキバキに目が覚めていて、緊張で肩が痛い。トイレに行きたくなっても「泥棒か!」というくらいに物音をたてないように歩き、志村さんがいびきをかいたタイミングで水を流す。そしてまた抜き足差し足でベッドに戻る。いびきを聞きながら、僕はただひたすら早く朝が来ることを願っていたのでした。#6に続く)

我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと

乾き亭 げそ太郎

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