昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「今、連絡がありました。志村さんの死亡説が流れています」そう告げた愛弟子に志村けんが発した一言とは?

『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』#5

 急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは――。昨年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。

 現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏が、一周忌を前に、著書『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を刊行した。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して公開する。(全3回の2回め/#4#6を読む)

網走刑務所ロケの志村けんさん。中央奥が筆者。手前左はダチョウ倶楽部の上島竜兵、右は肥後克広(筆者提供)

◆◆◆

志村さんが「まっすぐ自宅に帰らない理由」

 ネタ会議があった日にしても、収録があった日にしても、仕事を終えた志村さんがまっすぐに帰宅することはありませんでした。必ず飲みに行くのです。

 これは「お酒が好きだから」という理由だけではありません。仕事でマックスに頭を使い、マックスに神経を使うためです。「酒でクールダウンしないと眠れないんだよ」と、志村さんはよく言っていました。

 前にも書いたとおり、志村さんがよく飲みに行っていたのは六本木と麻布十番です。六本木ではクラブがほとんどで、お酒のお相手はたいていホステスさんたちでしたが、麻布十番では庶民的なお店で飲んでいました。

 一緒に飲むのは、番組スタッフさんか地元の人たち。とりわけよく飲んでいたのは喫茶店『ぱぽた~じゅ』(僕が最初に志村さんと会った喫茶店です)のマスターと、Hさんという旅行代理店を経営されている方でした。

 これは僕には意外でした。少し拍子抜けもしました。志村さんはいろいろな芸能人とガンガン派手に飲んでいるのだろうと想像していたからです。志村さん曰く、

「麻布十番は下町っぽくていいんだよな。お店にいる人たちも、芸能人というよりは一人の男として俺に接してくれるから居心地がいい」

『志村けんのだいじょうぶだぁ』の収録現場で ©️文藝春秋

フカヒレ、すっぽん、ふぐ、叙々苑の焼肉、回らないお寿司

 当時の麻布十番は、おしゃれな街並みの中に老舗のたいやき屋さん、おせんべい屋さんなどが混在していて落ち着いた風情がありました。志村さんが飲みに行くのは、やきとん屋さんや居酒屋など。個人事務所が麻布十番にあったこともあって毎晩のように出かけていました。

 庶民的なお店で食事をすることが多かった志村さんですが、時には高級店も利用していました。フカヒレ、すっぽん、ふぐ、叙々苑の焼肉、回らないお寿司――。高級料理の味はすべて志村さんに教えていただきました。

 お酒が好きなせいか、志村さんは食事はたくさん食べません。あれこれ料理を注文するのですが、自分は少し食べるだけで、

「あとは全部食べていいぞ」

 とお皿を渡してくれるのです。「志村さんと食事をするときは絶対に残さない」と固く誓っていた僕は、いつも遠慮なく高級料理をたらふくいただいていました。