「死亡説」の真相とは?
付き人になってからそろそろ2年がたとうとしていた1996年9月。信じられない出来事が起こりました。
その夜、志村さんは麻布十番で食事をしていました。いつものように車で待っていた僕の携帯が鳴り、出るとマネージャーのKさんからでした。
「今、志村さんはどこにいる?」
「麻布十番です」
「記者が来るかもしれないから、気をつけろ」
「えっ、何かあったんですか?」
「志村さんの死亡説が流れている」
何のことだか一瞬わかりませんでしたが、志村さんが亡くなったという噂が流れていると、Kさんは言ったのでした。
「は? そんなわけないじゃないですか。楽しくご飯を食べていますよ」
「わかってる。とりあえず注意しておけ。この話は志村さんにも伝えておけ」
電話を切ったその足でお店に行きました。「どうした?」という顔をする志村さんの耳元で、僕は言いました。
「今、Kさんから連絡がありました。志村さんの死亡説が流れているそうです。記者が来るかもしれないから気をつけろ、とおっしゃっていました」
志村さんは軽く驚きながらも、
「えっ、俺、死んじゃったの?」
と笑いました。そのときの顔と声を、今でも不意に思い出すことがあります。
【志村けん、宇都宮(栃木県)のがんセンターで死亡】
そんな噂が、なぜ出回ったのか。
「死亡説が流れた理由」として考えられること
考えられる原因はいくつかあって、その頃志村さんの番組はゴールデンから関東ローカルの深夜帯に移りました。これは一般視聴者のみなさんに「志村けんの露出が減った」という印象を与えたようです。
一方で、スケジュールに少し余裕ができた志村さんは、宇都宮のゴルフ場へ行くことが増えました。例によって車はリムジンですから、すごく目立ちます。「あれは志村けんの車だ」ということが周辺住民に知られるようになったのですが、ゴルフ場の近くには栃木県立がんセンターがありました。
「最近、志村けんが宇都宮によく来ているらしい」
「そういえば、最近テレビで見かけなくなった」
「病気なんじゃないか」
「がんセンターに来ているらしい」
といった具合に噂は発展していったようです。当時、『ドリフ大爆笑』は毎月収録されていました。しかし「あれはどうも再放送らしい」などと言われ、ついに志村さん本人が「生きています」と会見を開くという異様な事態になったのでした。