(#前編から続く)
彼らは天使ではない
綾瀬 イシグロさん、私、キャシーを演じるにあたって、どうしても聞いておきたいことがあるんです。先日ドラマについてのインタビューを受けた際に、ある記者さんから「キャシーは、いろんなことを受け入れる、まるで天使のような存在だと思うのですが、いかがですか」と質問されました。ひとそれぞれ、受け取り方が違うんだなぁと思ったんですが、私の解釈では全然違うんです。キャシーのキャラクターについて、どう思われますか?
イシグロ はるかさんに、ご自分なりのキャシーを作っていってほしいので、あまり私の意見を言って影響を与えたくありません。ただ、せっかくロンドンまで来てくださったので(笑)、少しだけお話ししましょう。
私がこの物語を書いている時、キャシーを天使のように思ったことはありません。キャシーは臓器提供の為に作られたクローンで、閉ざされた、非常に特殊な環境で育ったわけですよね。外の世界の価値観を知らない。だから、過酷な運命も自然に受け入れる。現実の世界を見てみてください。今も様々な国で、本当に過酷な環境で生きている人が大勢います。彼らは天使なのではなく、必然としてその環境に適応し、精一杯生きている。自分が生きている意味を何とか築こうと奮闘している。例えば家族や兄弟の絆を築くことで、厳しい環境下でも幸せを作ろうとする。キャシーも、臓器提供という過酷な運命に置かれた中で何ができるかを、同じように捉えているのではないでしょうか。
綾瀬 私も「天使」という捉え方に何となく違和感を感じていたので、よく分かりました。
イシグロ 映画や小説の登場人物は、得てして非常にヒロイックだったり反抗的だったりします。多分物語の世界では、キャシーのような人物は非常に変わった存在に映ります。だからその記者さんは「天使」と言ったのかもしれませんね。でも例えば、「酷い管理職の下、過酷な職場で働いている」とか、「いじめに遭っている」とか、多かれ少なかれ、誰もがそういうものに耐えながら、何とか生きているのが本当の世界です。そう考えると、キャシーの世界は、設定こそSF的ですが、実は現実に近いんじゃないかと思いますよ。
綾瀬 確かにそうですね。
イシグロ 例えば普通の人生では、友情や愛に比べて、時にはキャリアやお金を優先してしまうことがありますよね。人間は、そういうことをしてしまうものです。この物語では、登場人物の人生を非常に短くすることによって、じゃあ人生がこれほど短かったら、本当に何が重要ですか、と問いかけたかったのです。
また別の見方をすれば、この物語には臓器を提供する人とされる人、持てる者と持たざる者という対立構造が見て取れる。見る人によっては、奴隷のメタファーであるとか、政治的な見方をすることもできると思います。どうやら森下さんの脚本の中には、そうした側面も入ってきているようですから、そこは新しく拡大される面白い部分ではないかと思います。
「Never」に込められた思い
綾瀬 イシグロさんの他の小説と違って、性的な描写もかなりたくさんありますよね。読んでいてドキッとさせられた部分も少なからずありました。
イシグロ 性的な部分を特に強く意識したわけではありません。ただ、この物語は若い男女の三角関係を中心にしています。若者の愛を語るうえで、性的な関係は重要な一部ではないかと思います。キャシーが物語の中で自分を発見していく過程においてトミー(ドラマでは三浦春馬が演じる友彦)に対する愛というのは非常に重要です。その一部として、性は切っても切り離せないものです。
綾瀬 原題の『Never Let Me Go』にはどんな意味が込められているのでしょう。
イシグロ 「Never」とは、絶対的な否定です。つまり『Never Let Me Go』とは不可能な要求なんです。「絶対に離さないで」といっても、人間は遅かれ早かれ死によって離れざるをえないし、他の事情によって離れることもある。本当に絶対に離れないということはあり得ない。あえてその「Never」を使うことによって、いかに愛が強いか、永遠に一緒にいたいという気持ちの強さと、それがかなわない悲しさを表現したんです。