2017年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏と日本の国民的女優・綾瀬はるかは不思議な縁で結ばれていた。綾瀬が2016年に主演した連続ドラマ『わたしを離さないで』(TBS系)の原作者がイシグロ氏。このドラマ撮影に先立って、ロンドンでイシグロ氏と対談していたのだ。

出典:『文藝春秋』2016年2月号

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イシグロ ロンドンでは、もうどこか見て回られましたか。

綾瀬 昨日こちらに着いたばかりなんですが、先ほどまですぐそこの公園、ラッセル・スクウェアを散策していました。可愛いリスがいて、思わず追いかけて写真を撮ってしまいました。

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イシグロ リスが珍しいんですね。ロンドンではリスは多過ぎるぐらいですよ。どこの庭にも、実にたくさんいます。

綾瀬 いたずらをしたりするんですか?

イシグロ そうですね、時には電線をかじっちゃうこともある。

 はるかさんと、楽しくリスの話を続けたいところですが、そろそろ本題に入りましょうか(笑)。

対談は通訳を介して2時間近くに及んだ ©文藝春秋

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 2015年12月、女優・綾瀬はるか(30)が忙しい合間を縫って、ロンドンを訪れた。目的はカズオ・イシグロ氏(61)に会うこと。2016年1月15日から始まる連続ドラマ『わたしを離さないで』(TBS系、毎週金曜夜10時)に主演することが決まって以来、原作『Never Let Me Go』を著した同氏との対話を熱望してきたのだ。

 イシグロ氏は1954年、長崎で生まれ、父の仕事の都合で5歳の時に渡英。以後英国に住み続け20代で英国に帰化。82年、英国に住む長崎生まれの女性の回想を描いた処女作『遠い山なみの光』(原題:A Pale View of Hills)で王立文学協会賞を受賞し、鮮烈なデビューを飾る。89年の第3作『日の名残り』(The Remains of the Day)で英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞。同作は名優アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされた。2005年に発表された『Never Let Me Go』も世界的ベストセラーとなり、10年に映画化、14年には日本でも蜷川幸雄氏の演出で舞台化された。近年、ノーベル文学賞に最も近いとも言われる世界的作家と、その物語を演ずる主演女優。通訳を介しての二人の対話は次第に熱を帯び、2時間近く続いた――。
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綾瀬 『わたしを離さないで』は、他人に臓器を提供するためのクローンとして、特殊な環境で育てられた若者たちのドラマですが、どのようにして、「臓器提供」という設定を思いつかれたんですか。

イシグロ 実は『わたしを離さないで』は、15年くらいにわたって、計3回挑戦した作品なんです。最初の2回は、途中で断念しました。当初、クローンによる臓器提供というアイデアは思いつかなかった。私が元々持っていたのは、非常に寿命が短い若者たちが、普通なら年をとってから経験するようなことを短期間で経験するというアイデアでした。それをどのような設定で伝えるか。最初の試みでは「核」を題材に使ってみました。

綾瀬 それも、とても興味深いお話です。

イシグロ でもあまりうまくいかなかった。3回目の挑戦でようやく、クローンというSF的なアイデアが浮かんできたんです。そこで、臓器提供のために作られた美しく若いクローンが、普通の人なら70~80年かけて経験する人生を、わずか30年という短さで経験するお話にしようと決めたんです。

物語が故郷に戻っていった

綾瀬 何を伝えるために、そのような設定を思いついたんですか。

イシグロ 「人生とは短い」ということを書きたかった。あらゆる人がいずれ死を迎えます。誰もが避けられない「死」に直面した時に、一体何が重要なのか、というテーマを浮き彫りにしたいと思ったんです。

綾瀬 原作は90年代のイギリスが舞台で、登場人物もイギリス人ですよね。今回のドラマは日本に舞台を移していますが、そうした変化は、原作者としてどんな風に感じられるものですか。

イシグロ 実は、今回日本でドラマ化されることを非常にうれしく思っているんです。原作の根底にあるものは、なぜか非常に日本的だと以前から感じてきました。私は他に日本を舞台にした物語も書いているんですが、それら以上にこの作品は、イギリスが舞台なのに、どこか日本的なんです。ですから、ある意味で物語が故郷に戻っていったという感覚があります。