「この付近でヒグマの目撃情報が寄せられております」
車から降りると聞こえてくるのは、鳥のさえずりと草木を揺らす風の音のみ。空は木々に覆われ、昼間だというのに薄暗く、なんとなく気味が悪い。目の前に広がる大自然に圧倒され、畏怖の念を感じた。
ふと、注意喚起の看板が目に入った。
「この付近でヒグマの目撃情報が寄せられております。見学される方は、十分注意されるようお願いします。」
復元しているのは家だけじゃなく、ヒグマまでもリアルに現れるのか。
緊張が走る。
携帯は圏外。
私以外誰もいない。
なにかがあっても助からない。
入り口には、三毛別羆事件についての解説が書かれていた。ヒグマが描かれている横には、明景宅の間取りと被害者の位置関係とともに、ヒグマの足取りが示されている。
解説を読む。
「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」
臨月の婦人は「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と絶叫し続けついに意識を失ったのです。
郷土資料館よりさらに細かい描写やリアルな声が追記されていた。
一刻も早くこの場を立ち去りたい。
復元地には手描きされた案内図もあった。石碑や復元された小屋のほか、クマのひっかき傷、クマの穴、クマの足跡まであるようだ。
まずはメインである、明景宅をモデルに復元された小屋を見る。実際の事件現場はここよりさらに100mほど山の中へ入った場所にあるそうだ。
小屋の横には、ものすごい迫力で襲いかかっている巨大なヒグマの像が作られている。実物大だそうだ。想像を遥かに超える大きさに息を呑んだ。こんなヒグマに襲われたら、人間になすすべは無い。いくら像とはいえ、誰もいない自然の中にいると、身震いするほど怖くなる。
小屋の中に入ると、随分簡素な作りに驚く。ここで極寒の冬を耐え忍ぶのか…… ここでヒグマに遭遇したら…… 現地で実際に体感することで、想像が膨らみ、開拓者たちの苦労が偲ばれ、自然と生物への恐怖をより生々しく実感する。
事件の概要を記すパネルや記念スタンプなどが置かれ、落ち着いてじっくり見たいのだが、あたりには蚊やハチも多く、なによりなんらかの生物に遭遇しそうで、気が気でない。
続いて、小屋の周りにあるとされるクマの穴やひっかき傷、足跡を見て回る。とはいえ、クマの穴もひっかき傷も観光客向けに人工的に作られたもので、足跡に至っては落ち葉に埋もれて見つけられず、ゆるい雰囲気に心が和む。
ひと通り見終えると、逃げるように帰路についた。