クマの祟り
三毛別羆事件には後日談がある。
ヒグマは射殺後、解体され村の人々によって煮て食われた。
参加したうちのひとり、鍛冶屋の息子は、その夜から家人に噛み付くなどの乱暴が始まり、その凶暴性は日に日に増していった。彼を寺に連れて行くと、クマの祟りであると告げられた。近親縁者が集まり、一心に祈りを捧げたところ、症状は治まったという。
また別の話も語り継がれている。
三毛別羆事件の際に、自宅が事件対策本部となっていたことから、この事件の一部始終を見聞きしていた少年がいた。
少年は犠牲者のかたきをとるため、のちに猟師となり、生涯にヒグマを100頭以上仕留め、北海道内の獣害防止に大きく貢献した。
1985年12月9日、三毛別羆事件の70回忌の法要が行われた。
その猟師は小学校の講演の壇上に立ち、「えー、みなさん……」と話し始めると同時に倒れ、同日に死去した。酒もたばこもやらず、健康そのもののはずであった。事件の仇討ちとしてヒグマを狩り続けた末、事件同日に急死したことに、周囲の人々はヒグマの因縁を感じずにはいられなかったという。
人間と動物が共生するために
北海道の先住民族、アイヌの人々は古くから、自然界のさまざまなものにカムイ(神)の存在を見出し、ヒグマをキムンカムイ(山の神)と呼び、大切にしてきた。我々には計り知れない力があるのかもしれない。
クマの被害に馴染みのない人にとっては、三毛別羆事件の話を聞いてもなかなか実感がわかないだろう。
しかしこの話は紛れもない実話だ。
事件のヒグマは例外だとしても、ほんの少し、山菜採りに入った登山道で、国道沿いの藪の中で、あるいは市街地でクマに遭遇する可能性はある。
大切なのは、無用な接触を事前に避ける努力をすることと、生態を正しく理解することだ。感謝や尊敬の念を抱きながら、よりよい形で共生していかなければならない。