女性にしかほぼ使われることがない母性という言葉は、その使われ方に疑問があり、そうくくられることに抵抗があった。「女性はすごいなあ、母性でなんでもできちゃう、男はかないません」と言い、多くを女性に強いる。その先に自分を責め、苦しむ女性をたくさん見た。だからか「母だから」「母性が」と言われると心がキッと身構える。
しかし自分が娘に注ぐ気持ち、世話をしたい、泣いていたら抱きしめたい、傷ついた時にどう対処すればいいのか伝えたい、素晴らしいことにたくさん触れてほしい、この気持ちはどう表現すれば良いのか。この気持ちは私だけでなく、育児を共にする夫も共有している。女だけのものではないこの気持ちは一体何。愛と言われたら愛だけど、愛はあまりにも広義だ。
そこで出会った中村佑子著『マザリング』。マザリング、その意味は子どもやその他の人々をケアし守る行為であり、そこに性別は関係ない。著者の中村氏はマザリングを実践する人(もちろん男性も)、しない選択をした人、様々な立場の人と対話し書き連ねる。語る人々も魅力的だが、そこに中村氏の知識と哲学が混ざり合い、唯一無二のインタビューとなっている。そのマザリングの在り方も三者三様である。
赤ちゃんと二人で過ごしている時の、あの、赤ちゃんと自分の境界線が曖昧な、生と死が近くにあるゆらめく空間。しかしそこから一歩外へ出ると、相容れないシステマティックな空気が迫る。「文明人であることを剥奪される」と中村氏が形容するその感覚は、健康に働ける人間以外が感じるものであり、人間の脆弱さ、ケアの必要性へ話は進む。今この社会に「マザリング」をと語る中村氏の言葉に私の心はほどけた。
「自ら命を落とす人が年間二万人を超え、児童相談所によせられる虐待の相談が十六万件に迫るこの国に、必要とされているものは何だろう。生きていてほしいとただ願うこと、その生命を弱さも混沌も含め、成り立たせようとする人がそばにいること」と文中にある。「生きていて欲しいという願い」
私が子どもを育てるのも、20代を母の介護に明け暮れたのも、愛犬のお世話をしたのも、夫とコミュニケーションをとるのも「生きていて欲しいという願い」からだ。そして私自身他者に「生きていて欲しい」と願われたいのだ。私はふと孤独を感じると夫にぎゅっと抱きついて首の匂いを嗅ぐ。これは私が子どもの頃母にしていたことと全く同じ。夫がそれを当たり前のこととして受け入れてくれることで「生きていいのだな」と思える。以前「私は今母だけど、私にも母が欲しい!」と思ったことがある。母はいるけれどこう思ったのは、私が欲しているのはマザリングだったんだろう。この概念を共有してくれた中村氏に心からお礼を言いたい。
なかむらゆうこ/1977年、東京都生まれ。映像作家。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。哲学書房での編集者を経て、2005年よりテレビマンユニオンに参加。映画作品に『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』など。本書が初の著書となる。
いぬやまかみこ/1981年、大阪府生まれ。エッセイスト。近著に『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』。