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お母さんもたぶん壮絶な人生だった

——児童ホームでの暮らしはどうでしたか?

 平和ではありました。ただ山奥のホームやから人があんまりいなくて、同級生もいたりいなかったりする感じで。だから僕は基本1人で遊んでいて、たまに上級生に遊んでもらうような暮らしでした。

ほっつんさんが過ごした児童保護施設 ©文藝春秋

——その後、小学校5年生のときにまたお母さんと暮らし始めたんですね。きっかけは何だったんですか。

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 お母さんから「生活が整ったから帰っておいで」と言われたんです。家に帰ったら、お母さんは弟のお父さんといろいろあったらしく、別れていました。お母さんもたぶん壮絶な人生だったので。僕もそこから生魂小学校に転校して、今のバンドメンバーに出会ったんです。

「今日、神社で“探偵”するからおいでや」と誘われて

——今のバンドのメンバーは小学校の頃からのお付き合いなんですね。すぐに仲良くなったんですか。

©文藝春秋

 転校初日に、今の相方(バンドメンバー)に、「今日、神社で“探偵”(「ドロ警」ともいう、泥棒と警察を模した遊び)するからおいでや」と誘われて、行ったんですよ。僕はそれまで山で1人遊びすることが多かったので、すっかり野生児やったんですよ。それで突然、背中にタッチされそうになったとき、「つかまる!」という危機感から、すかさずそいつの手をとって背負い投げしてしまったんです。警戒心がめちゃ強くなっていたからですが、当時の話を聞くと「ヤバいヤツが転校してきた」と話題になっていたらしいです(笑)。目つきも当時、すごく鋭かったですからね。

——卒業アルバムを拝見すると、確かにちょっと大人びていて、斜に構えたような雰囲気がありますね。ヤンチャな小学生だったんですか。

 いやいや、ヤンチャではないです。学校では別にボスになったわけではなく、今のバンドメンバーの2人ともう1人の4人組で、「四天王(してんおう)!」とかいうわけわからん名前を自分たちでつけて遊んでいました(笑)。

中学2年生くらいから家に帰れない状態に

——当時、夢はありましたか?

 小学生の頃から、ずっとサッカー選手になりたかったんです。でもお母さんに「サッカーやりたい」と言ったけど、うちは貧乏やったし、弟もいるし、「そういうのはできない」と言われました。でも中学ではやっと念願のサッカー部に入れて、「スパイクはいてボール蹴れる!」って嬉しかったです。

 でも、中学2年生くらいから家に帰れない状態になっていて。部活は毎日行かなきゃいけないけど、僕は毎日行けなかったんです。お風呂に入っていないとか同じ服を2日続けて着ているとか、そういう状態やったんで。自分自身も嫌やし、周りも匂うから嫌がるじゃないですか。それで結局、中学2年の中間くらいでサッカー部をやめました。そこからサッカー選手が夢じゃなくなりました。