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“外の味”を知ったら「中」には戻りたくなくなった

——家に帰れなくなった理由はなんだったんですか。

 きっかけは反抗期ですね。親のしつけに耐えられなくなって、外に住むようになったんです。ホームレスみたいな感じで、学校にも行かなくなりました。“外の味”を知ってもうたんで、もう「中」には戻りたくなくなってしまった。

——「中」は自分の家だけじゃなく、児童ホームもという意味ですか。

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 そうです。施設に預けられることがすごく嫌だった。施設には決まり事があって、寝る時間やゲームする時間、自由時間など全部決まっているから。でも、それが外にいれば全部自分で決められるわけですよ。

中学時代に寝起きしていた場所 ©文藝春秋

 だから友達や先輩に助けてもらいながら、ご飯を食べていました。僕が無理やり友達の家に行って冷蔵庫を勝手に漁って食べていたパターンですね。当時はたぶん僕は彼らのことを冷蔵庫としか思ってなかった(笑)。ただ、こんな性格なので、友達は「また来たの?」くらいで心配してないけど、たぶん友達の親は心配していたと思います。「ごはん食べてるか?」「家、帰ってる?」とか毎回聞かれていたし。

卒業文集には“ちっちゃい夢”をいっぱい書いていた

——お昼ご飯はどうしていたんですか?

 中学校に通っていたときは、みんなの弁当からおかずをもらって自分で弁当を作っていましたよ。僕には弁当はもちろんないので。1クラスずつまわりながら「ちょうだい」って言って。みんなに「乞食」って言われてました(笑)。友達の親から「おかずとりすぎ」って怒られたこともあって、そこからは控えめになりました。

 それと、よく覚えているのは、西成の商店街にメチャクチャ安い喫茶店があって、そこの300円くらいのチャーハン。でも僕はお金がないので、誰かが食べるとこをずっと見ていました。

西成区の喫茶店で撮影したチャーハン。ほっつんさんが通った喫茶店はなくなっていた ©文藝春秋

 中学校の卒業文集には夢をいっぱい書いているんですけど、貧乏やったんでちっちゃいことばっかりなんです。例えば、僕にとってマクドは高級品やったから「チーズバーガー100個食べたい」と。あとは「プリンを山ほど食べたい」とか、そういう夢しかなかった。当時お腹いっぱいになったことがなかったから、本当に食いしん坊でした。

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