「小さい頃は、お母さんだと気づいていなかった。たまに洗濯物干しに来る、知り合いのお姉さんやと思ってた」

 そう話し始めたのは、芸能プロダクション「Dプロモーション」所属で関西を中心に活動する幼馴染3人のボーカルグループ「Star T Rat」の「ほっつん」こと堀田賢(すぐる)さん(27)だ。

 ほっつんさんは幼少期に実親から育児放棄され、5~6歳頃までを祖父母に育てられた。当時は冒頭の言葉にあるように、母親を認識すらしていなかった。その後は母親と同居することになったが、母親の離婚や再婚などもあり生活が落ち着かず、児童保護施設で生活することも多かった。小学校や中学校も休みがちで、屋外のベンチで寝起きすることもあったという。当時については「つらくなることが多くて、みんなと顔を合わせたくない、将来なんかなかった」と話している。

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 しかしそんな彼の人生を変えたのが、大阪府立西成高校だ。

堀田賢さん ©文藝春秋

 大阪・西成では、親から子への“貧困の連鎖”がいまだ問題となっている。ほっつんさんもかつてはその連鎖の最中にいた。西成高校も「教育困難校」と呼ばれ、学生の非行や中退が続出していた。

西成高校で“逆転人生”した1人として番組に出演

 しかし、山田勝治教頭(現校長)が赴任してプロジェクトを立ち上げ、「反貧困学習」に取り組んだことで、やがて就職率100%の学校に変貌する。その経緯は『逆転人生』(NHK)の「貧困の連鎖を断て! 西成高校の挑戦」(1月25日放送分)で紹介され、この放送回は2021年1月度の月間ギャラクシー賞も受賞した。ほっつんさんはその番組内で、“逆転人生”を果たした西成高校を象徴する学生として出演していたのだ。

中学時代に寝起きしていた場所 ©文藝春秋

 今回、彼に取材をしたのはライターの田幸和歌子氏だ。文春オンラインではドラマ評論家の印象が強いが、教育情報サイト「朝日新聞Edua」や育児サイト・書籍など教育分野の取材も多く手掛けている。プライベートでは現在大学生の娘が小学生時代に始めた、小学生に文章の書き方を教えるボランティア「新聞づくり教室」を8年間に渡って続けている。

 取材後、田幸氏は「私の娘が小学生の頃、親が遅くまで帰ってこないという子が数名遊びに来ることがありました。『何とかしてあげたい』と思いはしましたが、関わり方は中途半端なまま。私もかつて、ほっつんさんの周りにいた大人たちと同じだったのだと思います」と語っている。

 ほっつんさんが語る過酷な人生経験からは、子供たちを取り囲む貧困の実態が見えてきた。

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お母さんはすごく教育に厳しい人だった

©文藝春秋

——お母さんのことを、お姉さんではなく「お母さん」だと知ったのはいつですか。

 小学校1年くらいやったと思います。当時、お母さんは僕のお父さんと離婚して、再婚したところで、お腹の中には7歳下の弟がいました。それで、お母さんと弟のお父さんにあたる人と一緒に暮らすことになりました。

 お母さんはすごく教育に厳しい人で、何かあるたびに罰を与えられました。箸の持ち方や食べるときの姿勢が悪いとかで注意されて。門限も(夕方)4時半とか5時とか、すごく厳しくて、遅れると晩御飯抜きだったり、最悪、家に入れなかったり。ただ、それはお母さんもそうやって育てられたらしくて、何か悪いことすると外に出されて、反省するまで家に入れてもらわれへんかったと言っていました。