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2010年4月3日を思い出す…“親友”横浜との乱打戦はヤクルトAクラスの吉兆だ

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/04/04

 スワローズファンを長く続けていると、他球団ファンよりも高い確率で遭遇するもの。それは、「泥仕合(どろじあい)」。

 今年最初のコラムは、泥仕合について語ってみようと思います。

 2010年4月3日までの僕は、海に行ったりした時に開放的な気分になるのは、大自然からパワーをもらっているからだと思っていました。しかし、それは厳密に言えば間違いでした。一番大事なのは、「今日はどれだけ汚れたっていい!」と一時的に自分の身体が汚れる事にゴーサインを出せるかどうかなんです。

 塩水で身体もベトつくし、濡れた体で砂浜でビーチバレーをしようものなら全身砂だらけ。でも、「もうどうにでもなれ!」と心を許した瞬間から、開放感が身体中を駆け巡っていくんです。それに気づかせてくれたのが2010年4月3日、神宮球場で観た横浜戦でした。

11年前の横浜戦の記憶

 ヤクルト・由規、横浜・藤江均の両先発で始まったこの試合。初回に横浜が打者一巡の猛攻で3点を奪うもその裏、3番青木宣親の同点3ラン、相川亮二の3ランなど一挙7得点で逆転に成功します。

 立ち直りたい由規でしたが、2回に内川聖一のタイムリーなどで2点を返され2点差に詰め寄られます。しかしその裏、代わった2番手・真田裕貴から青木が2打席連続となるソロホームランで3点差とします。

「由規! 頼んだぞー!!」

 必死に叫びました。しかし3回。カスティーヨ、吉村裕基に連打を浴び無死1、2塁。「頑張れ頑張れよーしのりー! 頑張れ頑張れよーしのりー!!」必死に叫びました。続くバッターはロッテから移籍して1年目の橋本将。

 カウントは忘れました。放った打球がバックスクリーンにズドンと突き刺さりました。その瞬間、「もう、どうにでもなれ」。心の中の自分がそう呟きました。すると、不思議な感覚が身体中を包んできました。この試合が1秒でも長く続いてほしい。

今まで味わったことのない開放感

 もっと点を取れ。

 そして、その分取られろ。

 拳を上げろ。

 そしてその後うなだれろ。

 今まで味わった事のない開放感でした。なんせ、失点した時もなんか嬉しいんです。ボクシングの試合では対戦相手と激しく打ち合えば打ち合うほど強い絆で結ばれる事があるそうですが、まさしくそれでした。

 セカンドの守備につくこの日5打数5安打のカスティーヨに「カスティーヨ! もうヤメテーヨ!」ダジャレが大嫌いなはずなのに、気がつくと完全にダジャレっぽく叫んでいました。

 試合は8-8から10-8。10-8から10-12、10-12から11-12となり、1点ビハインドで9回裏を迎えます。ここまで両チーム合わせて37安打。もはや、打ち取った記憶も打ち取られた記憶もない。

(単打はアウト扱いやったっけ?)

 そんな事を呟きながら過ぎていく時間。ピッチャーは前の回から続投の守護神山口から2死3塁とし、バッターは代打川本良平(ちなみにこの時の3塁ランナーは代走出場の三輪正義)。負けたくない。でも、勝ちたくもない。ただただ、この試合が続いてほしい。

 川本よ、ホームランはいらない。ヒットで同点止まりでいい。俺の心を開放感という名の泥でもっと汚してくれ。朦朧としていく意識の中、聞こえてきたのはカキーンという乾いた打球音とともに、レフトスタンドに飛び込む弾丸ライナー。

 代打逆転サヨナラホームラン。ホームベースでもみくちゃにされる川本。ベンチに帰っていく横浜の選手達。勝った嬉しさよりも終わった寂しさが勝った試合に出会ったのは初めてでした。

「横浜、最高やわ!」

 気がつけば、3塁側ベンチに向かって何度も声をかけていました。この日から僕の中で横浜は一番のライバルであり、親友になりました。