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イチローの登場がすべてを変えた オリックス選手の“出囃子”今昔物語

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/04/15

 さて、今回のコラムは永年に亘って、オリックス球団を内外両面から観てきた、私、フリーアナウンサー・大前一樹が担当。今日のテーマは球場内に流れる音楽。中でも、選手の登場曲、いわゆる“出囃子”についてのお話を。次回以降も、意外に知られていないオリックス球団のウラ側をこっそりご紹介する予定。では、第1回。選手の登場曲についてのアレコレを……。

意外に浅い“出囃子”の歴史

 球場に溢れる音楽。今ではファンの楽しみのひとつであり、いたって普通の場内演出としてとらえられている。ただ、この、“普通で当たり前”の音楽にも最初の第一歩があったことを野球ファンには知っておいて欲しいと思い、今回の稿を起こすことにした。そう、その第一歩を踏み出した球団こそがオリックスであるからだ。

 そもそも、球場で耳にする音楽。昭和の頃から存在はしていた。球団歌やスタンドで打ち鳴らされる鉦(かね)や太鼓にラッパの演奏などがそれにあたる。電子オルガンの演奏などをいち早く取り入れた球団が昭和の段階で複数あったのも確かだが、ファンに与えたインパクトは微々たるものだったと言わざるを得ない。

 打席に入る選手、マウンドに上がりゆく投手らの気分を高揚させ、闘争本能を呼び起こすことに効果を発揮する、いわゆる“出囃子”。これらは、選手のみならずスタンドや各種媒体を通じて応援するファンのテンションさえも一気にMAXに持ってゆく最高の興奮剤ともいえるのだが、これら“出囃子”の歴史は意外に浅いのだ。

 今では選手からのリクエストで、“出囃子”は決定するが、昔は違った。今から時を遡ること30年、オリックスは球団側で選手をイメージさせる(であろう)曲を選択し、それらをシンセサイザーを使って流していた。曲は、“スター・ウォーズ”や“バットマン”などの映画音楽が多かったと記憶する。演歌好きのパンチ佐藤選手の打席では北島三郎さんの“函館の女”の一節が採用されていた。この頃がいわゆる選手の“出囃子”の黎明期だったと言っていい。

自らの感性をぶつけていったのがイチロー選手だった

 そんな選手の“出囃子”はDJ KIMURA氏(オリックスが先駆けて採用した男性球場アナ)とイチロー選手の登場で、一気にクローズアップされ、スタジアムに不可欠な演出として認知され始めてゆく。元来、ディスコ(今でいうクラブ)DJであったKIMURA氏は、球場の演出として、自らが持ちこんだ世界の最先端をゆく音楽を流し、選手との対話も交えながら、それぞれの“出囃子”を決定していった。音楽に無頓着な選手も、KIMURA氏が選ぶ自らの“テーマ曲”に乗せられて、気分を巧く高めて行けたし、彼らのパフォーマンスに音楽が与えた影響は小さくなかった。

 そんないわゆる音楽や流行に敏感なスタジアムDJに、自らの感性をぶつけていったのがイチロー選手だった。野球のみならず、ファッションやライフスタイルに一家言有する彼が自らをイメージさせる音楽に対し、拘らないはずがないというもの。音楽のエキスパートであるKIMURA氏に自らが持つ音楽観を伝え、“出囃子”を決めていったことを知る人は多くない。“ライトフィールダー イチロー・スズッキー”というコールとともに流れる音楽。

 選手の“出囃子”がファンにオーソライズされた大きな要因のひとつに、イチロー選手の存在があったことは確かだ。

イチロー ©文藝春秋

 1990年代初頭が、選手の登場曲、いわゆる“出囃子”の黎明期であるとするならば、現代は、“出囃子”の爛熟期に当たると言っていいだろう。今や、選手自らが自分をプロデュースしてゆく時代であることを斟酌すれば、登場曲をセルフチョイスすることなど、ごく当然のことなのであろうが、そのこだわりたるや、相当なもの。演出サイドの手間暇などは一切、考慮の対象になっていない。