すいません、今日はこれしか書けません。許してください。

 娘が家を出ていった。より正確には下の娘だ。既に上の娘も家を離れ、とあるパリーグ所属の球団本拠地のある街で暮らしている。子供は二人しかいないから、これで家には、自分と妻以外には誰もいなくなったことになる。

娘たちの間の数少ない会話の材料が、オリックスだった

 思えばここまでの20年間は本当にあっという間だった。病院での子供たちの出産に立ち会い - と言っても父親にはできる事など何もないのだが - 、病気がちな子供らをハラハラと病室で見守る。せがまれて公園に行き、ベンチで本を読んでいると、いつの間にかどこかで大声で泣いている。幼稚園の送り迎えでは、いろいろなたわいもない話をして、近所のお母さん方から奇妙な目で見られたものだ。

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 海外に行く事の多い仕事だったので、数か月から1年くらいの期間で外国に住む事もあった。韓国、オーストラリア、アメリカ、今思い出せば楽しい事しかなかったように思えてくるけど、子供たちからすれば突然、言葉の通じない国で、現地の学校に入れられるのだからたまったものではなかっただろう。ずいぶん勝手な親だったよな、と苦笑いしてしまう。ごめんな苦労ばかりかけて。

 でも、娘たちが小学校に入ると、だんだん親のできる事は少なくなる。特に男親と娘の関係はそうだ。話す機会もぐっと少なくなる。妻が娘たちと楽しそうに話し、ショッピング等に出かけるたびに、「男親なんてつまらない」、何度そう思ったかわからない。

 そんな自分と娘たちの間の数少ない会話の材料が、オリックスだった。以前にも書いたように、兵庫県内では時々、小学校でオリックス戦の「割引チケット」を配っている。因みに昔は「小学生無料招待チケット」だったから、世の中は確実に世知辛くなっている。そして、この割引チケットを使って、子供たちを大阪や神戸の球場に連れて行った。秋には高知、そして春には宮崎のキャンプにも行った。高知のカツオも宮崎の宮崎牛も美味しかったな。だから我が家には、まだルーキーだった頃のあどけない山本由伸が、幼い娘たちと、どちらも些か緊張気味な表情で写った写真なんかが沢山残されている。

 最初のうち子供たちは明らかに退屈そうだったし、親に気を使って一緒に来てくれている事は明らかだった。あかんな、こんなことしてちゃ。でも、そう思っていたら、そのうち試合に興味を持つようになって、選手についても、いつのまにか、とても詳しくなった。あの頃、彼女等が「推して」いたのは、上の子が安達、下の子が駿太だったから、今らか思えばなかなかの「目利き」だったと思う。特に、下の子は幼い自分と若い駿太を重ねてみているようで、「駿太、あんなに頑張っているのに、どうして結果がなかなか出ないのかな」とよく言っていた。思い起こせば、もう今から10年近くも前の事だ。