もうそろそろ寄り添ってもいいのか、いやまだそれには早いのか。人と人が距離を縮めるのには環境やタイミングが難しいこともある。杉浦稔大投手とファンにはずっとお互いの気遣いの距離があった。今シーズン、それはすべて取り払われたように私は思う。
悪夢、残酷、非情……そんな言葉がポンポンと頭に思い浮かぶラストだった。
4月21日の千葉、ZOZOマリンスタジアムのマリーンズとファイターズの5回戦。先発はそれまで素晴らしいピッチングをしながら白星を掴めないルーキーの伊藤大海投手。この日が4試合目。
もしかしたら、苦しいのは本人よりも援護してあげられないチームメイトなのかもしれない。私は北海道のHBCラジオでファイターズの応援番組を担当していて、伊藤投手が勝てなかった夜は番組ではよくそんな話をした、先輩たちの方がつらいんじゃないかと。
あの日、ファイターズは4回に先制し、5回に追加点で突き放した。近藤健介選手の3ランHRだった。ベンチに戻って来た近藤選手は一連のハイタッチの最後に、伊藤投手を指差して合図をした。「今日は勝たせてやるからな」、そんなセリフが聞こえてくるかのようだった。
伊藤投手は7回に3失点しながらも、勝ち投手の権利を持ってマウンドを降りる。その後、犠牲フライで1点差に詰め寄られるが、なんとかリリーフが踏ん張り、9回の裏に漕ぎつけた。2アウトまではいったのだ、あとアウトひとつでルーキーの悲願の初勝利だったのだ。それが、岡大海選手のバットでパチンと弾けて消えた、サヨナラホームラン。
悪夢、残酷、非情……あとはどんな言葉があるだろう。マウンドには今季から抑えを任されている杉浦投手がいた。
怪我が完治しない状況で杉浦投手はファイターズの一員になった
北海道の東、十勝平野のほぼ真ん中に帯広市はある。札幌からは高速道路を使えば3時間ちょっと。ばんえい競馬に、豚丼を始めとする帯広グルメ、広大な景色を堪能しに、私もよく出かける場所だ。そこが杉浦稔大投手の出身地。
母校の帯広大谷高校からは自転車で5分ほどのところに自宅があるそうで、弟さんも同じ高校で野球に励んで甲子園にも出場した。ちなみにお姉さん・杉浦投手・弟さん・弟さん・妹さんの5人兄弟。いまはそれぞれに家族を持ちお正月に実家に集まると大変な事になる、と笑って話してくれたことがある。彼にももうすぐ3人目のお子さんが誕生する。
高校3年の夏、エースで4番として北北海道大会の決勝まで進むも甲子園の切符は逃した。プロ志望届も提出はしたがドラフトで指名はなかった。ただ、國學院大學に進んでからの活躍は目覚ましく、2013年のドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団。道産子が1位指名というのは何とも誇らしかった。けど北海道との縁は少し薄くなったように感じて寂しかったのを覚えている。
しかもそれからの杉浦投手については苦しんでいる様子のニュースが多かった。初めてのキャンプでいきなり右肘を痛めていた。それからも相次ぐ怪我で、1軍で通年で投げられた年はなく常に怪我との闘いだった。背番号も18から3年目のオフには58になっていた。
思い描いていたプロ野球人生を歩んでいないだろうと想像するのは、そんなニュースを見聞きしていれば簡単だった。だから、2017年のトレードは本当なら「北海道に戻ってきてくれた!」と手放しで喜ぶところが、大丈夫なんだろうかという心配の方が大きかった。
トレード成立はシーズン途中のことで、怪我が完治しない状況で杉浦投手はファイターズの一員になった。果たしてこれはファイターズにとってはプラスなのか?という疑問の声も聞こえてきた。そして彼のファイターズ1年目はリハビリに終わるのだ。
やっと1軍の試合で投げられたのは翌年の7月のこと。移籍後初勝利はあげるものの、その年は3試合の登板。2019年には4勝をあげるが、まだ怪我明けの考慮で登板間隔を充分に空けての起用だった。