偶然にも運命の日に届いた手紙
そして迎えた大学4年、18年ドラフト会議当日のことだった。実家に手紙が届いた。差出人はつたない文字で「栗林良吏」とある。10年後の自分に宛てた手紙が、偶然にも運命の日に届いたのだ。
ただ、プロ野球選手になりたいと書いたタイムカプセルが到着した日に夢がかなう……というのはあまりに出来すぎた話だった。2位指名以上の縛りを設けていたことで指名漏れ。大卒でのプロ入りとはならなかった。
それでも夢を諦めず、社会人野球の名門トヨタ自動車のエースとして評価を上げて、2年後の20年ドラフト会議で広島にドラフト1位で指名された。さらに入団後には、抑え不在のチーム事情も重なり、新人ながら守護神に抜てきされた。
プロ初登板は、開幕2戦目3月27日の中日戦だった。7―4の9回、先頭の京田を二ゴロ、続く木下拓を投ゴロで2死として根尾を迎えた。5球目のフォークを外角に決めて空振り三振を奪うとマウンド上で跳ねるようにして右拳を握った。大学4年だった18年、栗林が幼少期から応援していた中日に1位指名されたのが根尾だった。当時流した悔し涙は、プロ野球史上5人目となる初登板初セーブとなって報われた。
拝啓、「いまぼくはなにをやっている?」と書いた12歳の栗林少年へ――。10年後も野球が好きなままだよ。お父さんとケンカをしても夢は諦めないほうがいいと思う。手紙が届く頃はまだ夢の途中かもしれないけど、君は将来、立派なプロ野球選手になれるよ。
河合洋介(スポーツニッポン)
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