「賄賂」をバラ撒いた容疑で逮捕
皮肉なことに、追及の火の手は江副が築こうとした「日米欧テレポート」のひとつ、日本の川崎から上がる。
江副がつくろうとしたのは大型コンピューターを何十台も設置し、大容量の高速回線で結ばれた情報通信ネットワークの要となる「データセンター」。そんなものは当時の日本にはない。前例のないものを作ろうとするとさまざまな規制の壁が立ちはだかった。だが、川崎市のやり手の助役(いまの副市長職に当たる)は、川崎駅西口前の広大な工場跡地の再開発に強い意欲を持ち、江副の「テレポート構想」に理解を示した。再開発の敷地は容積率の制限で14階建てのビルしか建てられなかったが、「特定街区」に指定され、20階建てが可能になった。
江副は、子会社のマンション・デベロッパー「リクルートコスモス」がグループ企業で初めて上場することが決定すると、この助役にコスモスの未公開株を譲渡した。譲渡といっても無料で渡したわけではなく、同じくリクルートの子会社のノンバンク「ファーストファイナンス」から資金を貸し付けて、株を買ってもらったのだ。コスモス株は上場後に値上がりし、株をすぐに売った助役は、あっというまに1億2000万円の差益を手にした。
〈「リクルート」川崎市誘致時 助役が関連株取得 公開で売却益1億円 資金も子会社の融資〉──1988年6月18日、朝日新聞の社会面トップに大見出しが躍る。
株価や地価が急騰するバブル景気の真っ只中、ふつうの年収ではマイホームが買えなくなってしまった人々は、これを読んで怒りに震えた。その後、朝日のみならずすべてのマスコミが追及をはじめると、首相の竹下登、大蔵大臣の宮澤喜一、中曽根康弘・前首相、安倍晋太郎・自民党幹事長など政界実力者、官界では労働省(現・厚労省)、文部省(現・文科省)トップの事務次官、新聞社の社長やNTT幹部など財界の有力者に未公開株が譲渡されていたことが次々と発覚する。株を配った江副と、それを受け取った政・官・財の要人への悲憤慷慨は燎原の火のように燃え広がった。
1988年11月に江副は、国会に証人喚問される。時代が昭和から平成になった翌89年2月13日、自分の会社の未公開株という「賄賂」をバラ撒いた容疑で東京地検特捜部に逮捕された。
東京・銀座にふたつの自社ビルをもつ「成り上がりの起業家」江副浩正にバッシングを浴びせる人々の怒りを背に受けて、特捜部は、検事52人、事務官159人を動員して、延べ3800人を聴取、リクルートや関連会社など80ヵ所を捜索した。「戦後最大の疑獄」リクルート事件である。
江副は、政財官の大物20人が有罪となった一大疑獄事件の「主犯」として断罪される。
社史から消えた創業者
こうして、戦後もっともイノベーティブだった天才起業家の業績は、見果てぬ夢とともに歴史から抹消された。