森喜朗氏が故郷の雑誌「月刊北國アクタス」で「会長交代の舞台裏」を話しているのだが、これが「読みどころ、突っ込みどころ満載」だというのだ。さすが地獄耳! 私もさっそく雑誌を入手した。
「政治家の器が小さくなった」のが問題?
読んでみると森が強調していたのは「政治家の器が小さくなった」ということだ。
ん?
あのとき国会議員からなぜ森擁護の声が一切出なかったのか。昔ならハマコー(浜田幸一)が吠えていただろう、と官邸で言われたと語っている。
そして自らも、
《あの元気な馳(衆院議員)君も、心配して電話を掛けてきてくれたけど、外では黙ってるもんな。国会議員のスケールが小さくなったとよく言われるが、まさしくそうだなぁという思いを持ったね。》
馳浩、被弾!
なぜか最もディスられていたのは岸田文雄。
《岸田君が、森さんがいなくてオリンピックをどうやってやるんだと。国際的な顔としても森さんしかいない、と言えば、『おっ、岸田も変わったな』と受け止められたと思うけどな。そこで勝負できなかった、というか、勝負かどうかも分からなかった。その辺が、宰相の器じゃないと言われるところだろうなぁ》
すべてを政局にする旧態依然の発想
なんでも政局にしてしまう酷さ。あのとき岸田文雄が「国際的な顔としても森さんしかいない」と言っていたら、あらゆる差別をなくそうという五輪トップに森を推し続けるセンスは世界中から詰められていただろう。
一方で私もあのときの与党系政治家の「沈黙」が気になった。なぜ森を擁護しない? ではなく、なぜ森に「その価値観や手法は2021年の五輪トップにあいません」と言わないのか? という疑問だ。こっちの沈黙のほうが問題だ。
森は「沈黙はメディアリンチ、老人叩きを黙認するということだからな」とも語り「私に対する批判は意図的なものもあった。オリンピックを中止させようという意図を持った勢力があおったんだね」とも雑誌で言っている。