それでも、お祭りが始まった。

「聖火リレーが始まったらもうやめることはできない」。政府のエラい人はそう言い切った。

聖火リレーの第一走者を務めたなでしこジャパンの面々 ©時事通信社

 するとこんな目撃記事が話題に。

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『聖火リレー 大音量、マスクなしでDJ…福島の住民が憤ったスポンサーの「復興五輪」』(東京新聞3月26日)

聖火リレーで目立った「スポンサーによるお祭り騒ぎ」

 記者が目にしたのはランナーより目立つスポンサー車両による「お祭り騒ぎ」だった。SNSのアカウントには動画も貼られているのだが、大音量の音楽を響かせ、コカ・コーラの大型トラックがやってくる。荷台にはDJがいてマイクで陽気に叫んでいる。トヨタ自動車、日本生命、NTTグループの「コンボイ」も続く。

 この様子を見た福島の住民は「これはちょっと違うんでねえか」「全然違う。しらけてしまう」とつぶやいたという。

 私はこの動画を見て、ジブリの高畑勲監督『かぐや姫の物語』のラストを思い出してしまった。

 月からお迎えがくるのだが、そこに流れるのは「天人の音楽」。やたら明るくて大音量で楽しげな曲なのだけど、それは地上で別れを惜しむかぐや姫たちの状況には恐ろしいほどのミスマッチ。天人の一団は、明るければ明るいほど無感情の不気味さや、何があっても淡々と連れ帰るという圧倒的な力を大音量で発していた。いくら抵抗しても無駄。

 まったく同じことが東京五輪の聖火リレーでおこなわれていた。何があっても五輪はやる。不安視する世論は関係ない。そのときが訪れたから「迎えに来た」。

 現代の「天人」は政治、大企業、メディアで組まれた一団である。楽しそうな雰囲気を醸し出そうとしていたが、あの聖火リレー動画には有無を言わせぬ巨大な力を見られた。

森喜朗が言っていた「必ず五輪をやる」という言葉

 そういえば森喜朗は2月の時点で言っていた。「コロナの状況がどうであろうと必ずやる」(2月2日・自民党会合)。

 何があっても黙れ。異論を唱えさせない姿勢は「女性は話が長い」発言にもつながっていた。むしろ五輪について真剣に考えている人が屈服させられる事態だったのだろう。

 そんななか先週、見逃せないコラムがあった。日刊スポーツ「政界地獄耳」が書いた『森節満載「会長交代の舞台裏」』(3月24日)である。