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数千万円のレアカードに賞金総額は約11億円…「紙の麻薬」として一世を風靡した「マジック:ザ・ギャザリング」の現在

数千万円のレアカードに賞金総額は約11億円…「紙の麻薬」として一世を風靡した「マジック:ザ・ギャザリング」の現在

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「マジック」は30代の青春!? 

「マジック」は、ときに“紙の麻薬”とも呼ばれる。もちろんLSD的な意味ではなくて、友だちと一度プレイを始めると、やめ時を見失うくらい遊んでしまうからだ。ひとりでいるときも、集めたカードを整理し、デッキを構築して楽しめる。

 筆者がはじめて「マジック」に触れたのは、中学1年生だった1999年である。「マジック」経験者には「ウルザズ・サーガと第6版の頃」と言ったほうが伝わりやすいだろうか。娯楽の少ない男子校ということもあり、クラスでは「マジック」が燎原の火のごとく流行していた。「マジック」ネタは広く通用しており、「サルタリー」というあだ名が付いたクラスメイトもいた(サルタリーとは、「マジック」に登場するガイコツ顔で可哀想な部族のこと)。

 この頃といえば、休み時間のたびに友だちと「マジック」で対戦し、放課後は繁華街のカードショップに入り浸っていた覚えがある。東京吉祥寺のアーケード街に所在した「アメニティードリーム」では、レジ横にある特価販売コーナー(「状態悪し」)が毎日更新されるので、その品目をチェックするのが日課だった。

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 当時は渋谷に「DCIジャパン・トーナメントセンター」という立派な施設があり、最高峰の「マジック」プレイヤーのサロンになっていたが、月額5000円か1回あたり500円(休日は1000円)の入場料が必要だった。

 これを中高生の小遣いから捻出することは難しいため、大半のプレイヤーが、カードショップに併設される無料の「デュエルスペース」を居場所にしていたのである。ゲームセンターの常連になるのと同じ理屈で、そこに行けば誰かしら友だちがいて、遊ぶことができたのだ。

 そのうち大会にも出るようになった。目立った成績は残せなかったが、埼玉県の桶川や千葉県の船橋など、日帰りできる範囲であれば「マジック」のために足を伸ばした。「地震の魔道士」と「ゴブリンの太守スクイー」による土地破壊ロックで善戦したのは良い思い出である。その後に流行した「補充」のコンボデッキには、なす術なくやられるばかりだったのだが。

 それからしばらくすると、「遊☆戯☆王 OCG デュエルモンスターズ」などの後発TCGも盛り上がり、「マジック」のシェアに食い込むようになる。実際に平成生まれ世代の思い出話を訊くと、「遊戯王カード」が登場する割合が高い。しかし「マジック」プレイヤーには、こちらこそ元祖TCGであるという妙なプライドがあり、他のTCGに浮気する割合は少なかった。