筋力テストで全国1位を叩き出した驚異の身体能力

「高3の時には野球メーカーが実施した筋力テストで、全国5000人くらいの高校球児の総合1位になりました」 

 目の前の男はあっさりとそう言った。えっ日本1位? スゴイっすね……。その分厚い身体にプロ野球選手の凄さを垣間見た。3年前、自分がプロのスポーツライターとして初めてインタビューをしたのが鬼屋敷正人である。雑誌ヤングアニマルで巨人2軍コラムを連載することになり、その第1回として鬼屋敷に話を聞きに行ったわけだ。

 直前の14年11月にジャイアンツ球場で行われた巨人若手vs侍ジャパン21U代表の練習試合スタメンで、3番センター大田泰示、5番サード中井大介と1軍経験豊富な若手選手を差し置いて、いきなり当時23歳の4番キャッチャー鬼屋敷が実現。すかさず「4番……オニヤシキ?」なんて声が観客席から聞こえてくる。違うよ、キヤシキっすよ。数年前にポスト阿部慎之助を期待された男っすよ。とにかくチャンスだぞ、頑張れ。右打席に入る背番号64を眺めながら、そう思ったのを今でもよく覚えている。

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 178センチ、84キロの屈強な肉体に、どっしりとした下半身。いかにもキャッチャー体型の鬼屋敷のルーツは、柔道にある。三重県の小さな町で生まれ育ち、小学校時代は柔道と野球の二刀流。得意技は払い腰。幼少の頃、柔道の練習から帰ってくると、父親と巨人戦のナイターを一緒に見るのが日課だった。柔道が嫌いなわけじゃない。ただ、それ以上に野球が好きだった。地元の全校生徒50人の中学校でのびのびと野球を楽しんだ鬼屋敷は、甲子園出場を目指し「小学生の時によく柔道の試合で行っていた」という近畿大学工業高等専門学校へ進学。その強靭なフィジカルはすでに高校レベルを超越しており、前述の通り野球メーカーが球児を対象に実施した筋力測定テストでは、8種目の総合点で全国1位の数値を叩き出した。もちろんこの5000分の1の逸材をプロも放っておかない。背筋力230キロの規格外のフィジカルに加え、遠投118メートルの鬼肩。三重県の高専に突如出現した超高校級捕手の存在に高野連も動く。09年当時、5年制の高専3年生はドラフト対象外だったが、この年からプロ志望届を出していれば指名可能とすることを決定。鬼屋敷正人はその圧倒的なポテンシャルでドラフト制度そのものを変えてみせたわけだ。

戦力外通告を受け、現役引退を表明した鬼屋敷正人 ©時事通信社

えっ俺? まさかの巨人2位指名

 そして、運命の2009年10月29日。「どこかで自分の名前が呼ばれたらいいな」なんて野球部員たちとドラフト会議のテレビ中継を眺めていたら、巨人から1位長野久義に次ぐ2位指名を受ける。「マジか……なんで2位なんかなあ?」なんつって自分でも驚くほどの高評価。高専出身初のドラフト指名選手として話題を呼び、マスコミは鬼屋敷を巨人次代の正捕手と派手に報じた。だが、1年目からプロの壁にぶち当たる。先輩選手たちのプレースピードや正確性に驚き、さらに金属から木製バットに代わり打撃はどん底状態まで落ちた。2軍でも打率1割台がやっと。もうどう打ったらいいのか分からへん……。ガラスの十代、戸惑いと苦悩の日々。当時の巨人1軍は不動のレギュラー捕手として阿部が君臨、ベンチには実松一成や加藤健といった経験豊富な中堅捕手もスタンバイ。とてもじゃないが若手捕手に付け入る隙はなかった。

 ちなみに鬼屋敷が2軍で過ごしたプロ1年目の2010年シーズンに阿部は44本のホームランを放っている。もはや次元が違いすぎる。長い球史でも40本塁打以上を放った捕手は野村克也、田淵幸一、阿部の3名しかいない。そんなスーパーキャッチャーからポシション奪えなんて酷な話だ。目指す場所が遠過ぎて、そのきっかけすら見えやしない。果たして、自分はプロでやっていけるのか? 一体、いつ1軍に上がれるのだろうか? 2軍で打撃に定評がある同期入団の河野元貴と正捕手争いをするも、お互い伸び悩み数年経過。そして、13年ドラフト1位で2歳上の強肩捕手・小林誠司がチームに加入してくるわけだ。