昨年ハマったドラマと言えば『愛の不時着』と『北の国から』でした。いずれにしても北の国からのやつ。

 じっくり見ることができて巣ごもり期間にピッタリだったのです。驚きもあった。『北の国から』は今の時代にこそ見たほうがいいんじゃないか?とザワザワしたのだ。

3月24日に88歳で死去した田中邦衛 ©文藝春秋

いまこそ『北の国から』を見るべき理由は…?

 私は『北の国から』は1983~2002年のスペシャル版は見ていたが、全24話のレギュラー回(81~82年)はなんとなく見ていた程度。そんな自分がこの時代にじっくり見たら“再放送直撃”したのである。

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 というわけで、2021年にこそおススメの『北の国から』。その理由。

 ドラマは《東京生まれ東京育ちの少年・純が、家庭の事情から、父親・五郎の生まれ故郷・富良野に移り住むところから始まる。富良野の市街から20キロほど離れた過疎の村に、今は朽ちかけた父の生家はあった。家のすぐ裏手から広大な原生林がひろがっている。電気もガスもないどころか、一杯の水を飲むにも沢まで出かけなければならない原始的な生活が始まった。》(BSフジ)

純(吉岡秀隆、右)と螢(中嶋朋子、左)とともに ©文藝春秋

 ここで「家庭の事情」とあるのは、黒板五郎(田中邦衛)は妻の令子(いしだあゆみ)に去られて東京の暮らしに嫌気がさしたため。純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)からすればいい迷惑。

 すると数か月後に妻が子どもたちに会いに来た。しかし五郎は母親に会わせるとここまで富良野で頑張ってきたものが崩れてしまうと言って子どもたちに会わせない。翌日、妻は家の遠くから純と螢をそっとのぞき見ただけで帰京した。(第9話)

五郎の“せこさ”と人間味の正体

 私はこのシーンを見てあ然とした。これ、どう考えても五郎はせこい。こんな親いる? 今なら炎上案件である。実際にドラマの中でも五郎は周囲にツッコまれまくる。そうだ、そうだ、言ってやれ。

 しかしある人が五郎をかばった。

「人にはそれぞれ自分の理屈にならない気持ちだってある。それを知らないで他人が心の中に踏み込むんじゃないよ」

 この言葉を言ったのは五郎の幼なじみの「みどり」(林美智子)。