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「シュガー・ベイブの後、なぜポンタにドラムを頼んだか」山下達郎が初めて語った戦友・村上“ポンタ”秀一

山下達郎ロングインタビュー#1

2021/04/11

 日本を代表するドラマー、村上“ポンタ”秀一さんが3月9日、入院先の病院で亡くなった。70歳だった。

 1970年代にリリースした「SPACY」や「イッツ・ア・ポッピン・タイム」などのアルバムで、スタジオミュージシャンとしてポンタ氏を起用していたシンガーソングライターの山下達郎さん(68)が、20代の当時から気鋭のミュージシャンとして同じ時代を生きた“戦友”との思い出について振り返った。

山下達郎氏

 インタビュアーは音楽ライターの真保みゆき氏。真保氏は、ポンタ氏がデビュー30周年にあたって出版された自伝本「自暴自伝」(2003年、文藝春秋刊)の構成を手掛けた。

ポンタは話を盛るからね(笑)

山下達郎(以下、山下)「すごいですよね。村上ポンタを文藝春秋が扱うなんて(笑)。追悼記事が先日の文春オンラインに載ってたけど」

――そもそもはポンタさんの語り下ろし自伝(「自暴自伝」)が、文藝春秋から出ていたといういきさつがありまして。

村上“ポンタ”秀一の自伝本「自暴自伝」(2003年、文藝春秋刊)。真保みゆきいわく、「全十回、数十時間におよぶインタヴューを再構成していく作業には、やったことはないが“砂金採り”というのは、こういうものかもしれないなあ。そう思わせるものがあった」(同書・構成者後記より)

山下「それはいつ頃?」

――2003年です。

山下「じゃあ、一番体調が悪かった時期かな。少しは良くなってたのかしら」

――取材中、缶チューハイは飲まれてました。10回ほどインタヴューしたんですが、語りのすべてが事実だったのかどうか、判然としないところもあって。

山下「話を盛るからね(笑)」

――一方で、山下さんとよく共演されていた70年代、六本木ピットインでのライヴ・アルバム(「イッツ・ア・ポッピン・タイム」)前後の逸話は、とにかく語りが生き生きしていて。当時の勢いが伝わってくることとも相まって、ポンタさんの中でも非常に大きな位置を占める時期だったんじゃないかと思えたんです。今回、亡くなられたことがきっかけなのは残念なんですが、山下さん自身当事者でいらっしゃるし、ぜひ思い出をうかがえたらなと。

山下「70歳だったんですよね。俺の2学年上だから。2001年だか02年頃、心臓の問題とか色々あって、タバコを止めて、酒も止めて」

――でも、葉巻は吸ってらっしゃいました。

山下「見栄っぱりなんですよ。格好つけたがりだから。5年前だったかな、やはり最近亡くなったギタリストの松木(恒秀)さんとポンタが新宿のピットインでライヴやったことがあって。僕もゲストで歌ったんですけど、ドラム・ソロを聴いて、つらそうだなと」

 2016年10月20日、新宿ピットインでのライブにシークレットゲストとして出演した山下達郎氏。松木恒秀氏(山下氏の左後方)、ポンタ氏(右)と共演した

――ここ10年ほどで、だいぶおやつれになってましたよね。

山下「うん。すでに体調は悪かった。とにかく飲みすぎなんですよ。一にも二にも飲みすぎ。90年代だって、リハはいいんだけど、本番になると出来上がってたから」

――リハ中から飲んでたんですか。

山下「飲んでました。それはもう、昔から」